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「身体は? 痛みとかは残ってないのか?」
「ほとんどないよ。大丈夫」
「頭打って記憶がどうとかってメールで言ってたけど、ホントなのか?」
「ま、まあね。ちょっと人の名前と顔が一致しなかったり、色々ととっさに思い出せないことがあったりするとか、そういう……感じ…かな……?」
由宇は誤魔化すように曖昧に頷いた。
昨夜のうちに、なんとか困らない程度には基本的な学校の知識を詰め込んだとはいえ、いつなんどきどこで何が起こるかわからない。
「心配かけてごめんね。でも、僕のほうはたいした怪我じゃなかったから、大丈夫だよ」
「…………?」
一瞬だけ妙な顔をして鷹取は深月の顔を覗き込んだ。
「……そういえばあのハウスキーパーくんのほうが重体だったらしいしな。あっちはよほど悪いのか?」
「あ…うん。意識がね。まだ……」
思わず言い淀んでしまう。
意識は。本当は目覚めているのだ。違う身体の中でだけど。
言ってはいけない言葉を飲み込んだ由宇を見て、鷹取が心配そうな目を向けた。
「あんま気にすんなよ。お前さんのほうが無事だったのだって単に運が良かったってだけなんだからな」
どうやら鷹取は、ただ単に深月が由宇の身体を心配しているだけだと判断したらしい。
「実際、すげえ勢いで二人とも落ちてったからな。さすがにヤバイと思ったぞ。だからお前のほうだけでも軽傷だったってのは奇跡だと思うぜ」
「……奇跡?」
「そうだよ。ハウスキーパーくんには悪いけど、俺、めっちゃ祈ったから。お前の無事を」
「…………」
「だから、お前が無事だったのは俺が必死で祈ってやったおかげなんだぞ。感謝しろ」
鷹取がにやりと笑った。
そういえば。
病院に担ぎ込まれた時、意識がなくなる寸前まで鷹取が深月の名前を呼んでいた声が聞こえていたのを由宇は思い出した。
あの時はまだ、由宇は由宇の身体の中にいて、だからちゃんと由宇の耳をとおしてその声を聞いていたのだ。
“深月! しっかりしろ!!”
自分の服が汚れるのなどまるで気にせず地面に膝をつき、ふだんはそうとう大事に扱っていたのだろうと思われる剣道の防具類も放り投げ、鷹取はまっすぐに深月のもとへ駆け寄った。
そして聞いている方が苦しくなるほどの悲壮な声で、何度も何度も深月の名前を呼んでいたのだ。
そういえばあの時自分はどうして、あんな朦朧とした状態だったのにこの少年の声が聞こえていたんだろう。
ああ、そうだ。
羨ましかったのだ。
そんなふうに心配して名前を呼び続けてもらえる親友がすぐそばにいる深月が、少しだけ羨ましかったのだ。
そして、その声の持ち主は今目の前にいて、心配そうな眼差しを深月の身体の中にいる由宇へと向けている。
そう思うと、ほんの少し心がざわめいた。
「お、チャイムだ」
始業開始のチャイムの音とともに鷹取が立ちあがった。
「じゃ、またあとでな」
「うん」
軽く手を振って鷹取は教室を出て行く。
そうだった。鷹取のクラスは隣の教室。部活は一緒だが、二人のクラスは別だったのだ。昨日、智秋に手伝ってもらって、なんとか調べた情報をもう一度由宇は頭の中で繰り返した。
覚えることが多すぎて、頭がパンク寸前になる。
でも、なんとかしなければ。
深月に変人のレッテルを貼らせないためと。
あともうひとつ。鷹取にこれ以上心配をかけないために。
深月は元気なのだと。心身ともに元気なのだと、鷹取に信じてもらうために。
「ちゃんと、やらなきゃ」
由宇は改めて、この嘘をつき続けることを心に決めた。
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