請われる心に応える間もなく乙女は戦う義と忠のため

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指揮官らしき敵の指令の後、竹子の頭に銃弾が命中して竹子は崩れ落ちるように倒れた。娘子隊にいた竹子の妹優子と竹子の母、こう子が竹子の介錯をして亡骸を辱しめられることのないよう涙を堪えて竹子の最期を看取る。数人の男達を見事に倒した竹子であったが、銃と薙刀では勝負は見えていた。 竹子の羽織の襟元から、赤い破片が落ちた。一度胸を銃弾が掠めたときに竹子がすんでのところで命拾いしたのは、竹子の俊敏さによるものなのか、それとも…。あの赤岡家で別れた許嫁だった玉木が渡した赤い櫛が竹子を守ったのか。生きて帰ってきてくれという玉木の願いも虚しく、竹子は会津の戦場でその短い命に幕を閉じた。8月25日竹子はまだ22歳の若さだった。 会津の柳橋という場所は通称涙橋と呼ばれている。元々は刑場であり罪人が今生の別れをするから涙橋と呼ばれていたそうな。義のために散った会津武士が涙を流し無念の死を遂げていった。そして、生き残りの会津武士も辛酸を舐めた。斗南に流され餓えと寒さに苦しんだ。悲劇の本質は同じ国の者同士が官軍と賊軍に別れて戦ったことにある。徳川幕府を頂点として約300年続いた太平の世が、明治維新、戊辰戦争を機に近代化とさらなる戦乱の時代へと進んでいく。 時は変わって平成30年。明治維新から150年、節目の年。     
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