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 少し車椅子を反転させるのに手こずったが、卓がそう言うので太一はこれで今日も散歩が終わるんだということを理解した。  また別の、今度は老婆が卓に話し掛けた。この人は温かい。誰からも好かれる主人のことを、太一は誇りに感じていた。談笑する卓を見て、太一もお座りの姿勢から背筋をピンと伸ばした。  あと何年、ボクは生きられるかなあ…。  小型犬に分類される柴犬の寿命は、現在12年~15年とされている。確かな老いは訪れていない。けれど少しずつ、自分の身体的な能力が衰えてきていることを、太一は自覚している。  せめて卓が亡くなるまでは元気でいたいなぁ。  そんなことを考えているのか、太一はゆっくりと飼い主の方を見た。その視線に気付いたのか、卓も太一を見返した。  12年変わらない、慈しみ深い瞳が、自分を見つめている。共に老い、共に朽ちてゆくのだろう。それが、幸せなのだと太一はきっと知っている。  公園を出て、自宅まではもうすぐだ。少し熱せられたアスファルトの上も、太一にとっては素敵な花道だ。毎日がレッドカーペットのようだった。足取りは、老いても自然と弾みゆく。  我が家が見えてきた。庭付き一戸建て。ここに今では卓と太一が二人で住んでいる。太一の自慢のマイハウスは、庭にこしらえてある。卓が日曜大工で組み立ててくれた、立派な屋根付き物件だ。  見覚えのない車が家の前に停まっている。なんだろう、と太一は思った。  「今日で、ようやく最後だなぁ…」  いつもの主人の声とは違う音が、太一をひどく不安にした。あれほど慈しみ深く見えた眼に、まるで生気が窺えない。小さく「くぅん」と鳴こうとしたが、何故かうまく声が出なかった。  太一は字が読めない。犬なのだから当然だ。  見覚えのないそのワゴン車には、『動物保護センター』という文字が浮かんでいた。  卓は、もう太一の方を見ようとはしなかった。
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