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「ただいま」
「は~い、ちょっと待ってね」
今は当たり前のように設置されているモニター付きのインターホン。貧しかった幼少期のことを結依はもうほとんど思い出すことはないが、便利な生活に慣れていく中でも、夫にはきちんと感謝しなければいけないという思いは持つようにしている。
「おかえり。ご飯の時間ぴったり」
「毎日同じような時間に帰れるって、良いことだよな」
うん、と結依は返事した。賢二が差し出す鞄を受け取って床に置き、彼の脱ぐ背広をハンガーに掛けた。結婚初期は必ずそうしていた。その役割を愛おしくさえ思っていた。しかしいつからかしなくなった。そして、少しずつ距離が離れていったことの恐怖を、彼女はもう二度と味わいたくないと考えている。
「このお浸し美味しいな。めちゃくちゃほうれん草に味染みてる」
声が大きい方ではない賢二が、珍しくハキハキと料理を褒めてくれた。今日は『ほうれん草のお浸し』『焼き鮭』『お味噌汁』といった特別感のない献立だが、16時までパートタイマーとして勤務している結依のことを、彼はきちんと労(ねぎら)ってくれている。
「この間失敗したから、ちゃんと反省したんだよっ」
有頂天になりそうなのを必死に隠して、結依は両手を腰に付けて、えへんと自慢気に微笑んだ。
「味噌汁も旨い…。まあこれは結依からしたら朝飯前か。夕食だけどさ」
「変なこと言わないーっ。冷める前にほら、食べて食べてっ」
くだらないジョークも、どういう訳かとても楽しい。食卓はいつも通りの賑わいを見せていた。
テレビではちょうど天気予報の時間だった。毎晩目にするキャスターが、明日の天気や週間予報を告げている。梅雨入りはまだまだ先のようだが、今週末は雨模様らしい。
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