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 わざと甘えたように、結依は返した。熱く滾る胸と下半身が、疼いて仕方なかった。  「それ、俺の子じゃないでしょ?」  一気に、結依の顔から血の気が引いた。ぞくりとする。冷や汗も出ない。心臓が破裂して、停まってしまいそうだった。  彼が立ち上がるのが分かった。黒い影のような、大柄な体つきは筋骨逞しく、まるで立ちはだかる壁のようだった。  上目遣いで彼の表情を探ると、氷のような目をしていた。これまで見たことのない、別人みたいな顔だった。  次の瞬間、結依は信じられないほどの鈍い衝撃を、赤ん坊の眠る下腹部に感じていた。反射的に出た声は、鶏が首を絞められた時に発するような、猟奇的な金切り声だった。それが自分の声だとは、彼女にも分からなかった。  もう一度、さっきと同じか、それ以上の打撃が彼女の股間を襲った。何が起きたか、彼女はようやく理解した。  賢二が蹴っている。私のお腹を。  「っぁぁああっぁあああっあぁぁぁっっぁぁぁぁああぁぁぁ」  言葉に出来ない。痛烈な傷み。激痛が全身を覆っていく。髪は振り乱れ、ようやく噴き出した玉のような汗が散り、涙と涎が空中に舞った。それでも賢二の打擲(ちょうちゃく)は止まなかった。徹底的に彼女の膨らんだ下腹部を狙っていた。  まるで、大きく(・・・)育った(・・・)事実(・・)を消し去りたいかのように、腹部を凹ませる程、彼は執拗に蹴り続けた。  「やめて…。お願い。痛い…。やめて、…痛い…。ごめんなさい。痛い。ごめんなさい…ごほっ、痛い…痛いいたい…やめ、ごめ…、やめてください。ごめんなさい…」  啜り泣きと、恐怖からくる懇願。彼女の「ごめんなさい」は、決して彼が発した「俺の子じゃないでしょ?」に対する謝罪ではなく、突如豹変した賢二の暴力を、どうにか終わらせるためだけに絞り出された、防衛本能の産物だった。  豪雨のようだった彼の攻撃は、しばらくしてようやく終わりを迎えた。力尽きたようにベッドに座り込んだ賢二の背中を、結依は遠のきそうな意識の端で見つめていた。涙で歪む視界に映る彼の背は、怒りと疲労で波打っている。  その陽炎じみた光景は、地獄の業火に世界が揺らめき果てていく、絵図そのもののようだった。
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