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三
3歳になったばかりの我が子が、ゴムボールを部屋の壁にぶつけて、それをキャッチしてみせた。誇らしげに振り返って、母である自分の方に微笑んだ。
「ナイスキャッチー。侑斗(ゆうと)くん上手になったねぇ」
パチパチと拍手を送る。ここら一帯で最も家賃が安いアパートの一室は、母子を包む陽だまりのお陰で、とても幸せだった。
「たくさん遊んで、いっぱい寝ようね」
ボールを投げる度にきゃっきゃとはしゃぐ侑斗を見ながら、小早川(こばやかわ)佐知子(さちこ)は嬉しそうに語りかけた。理解出来る言葉、まだ知らない言葉。子供の成長とは親が思っているよりもずっと早くて、気付けば昨日まで出来なかったことが、知らずに出来るようになっている。
遠い未来を想像し、この子が自分より素敵な人間へと育っていくことの喜びを、佐知子はなんとなく噛み締めていた。まだ3歳の侑斗には、きっと無限に広がる可能性が詰まっている。
ぽかぽかとした日光が、畳の香りを蒸発させ、まるで森林にいるような気持ちにさせてくれた。畳の原料はなんだったっけ…。そんなことを考えていると、佐知子は少しウトウトしてきた。
壁当てに疲れた侑斗は、一足先にすやすやと眠っている。この間までおっぱいを飲んでいたと思っていたのに、いつしか一人で立てるようになり、いつしか可愛い小さな歯で、ちょっとした固形物を食べられるようになった。
「ねぇ、きみはどんな大人になるのかなぁ」
愛する息子の鼻をちょんと触る。むずむずしたのか、侑斗が顔をくしゃっとした。目はきつく閉じられたままだ。よく眠っている。その愛くるしい反応を見て、佐知子は我が子の肩を優しく撫でた。
すべすべしている。この感触は夢じゃない。私の産んだ大切な命が、今ここで精一杯生きている。
そんなことを想うと、無闇に感動した。侑斗が寝ながらに小さく「こほっ」と言うと、過保護なほどに心配する。単なる咳だと分かるとホッと胸を撫で下ろし、また肩や腕をさする。
口と鼻はあなたに似ている。でも目は私にそっくり。
幼くて造形もしっかりしていないが、侑斗には確かに両親の面影がある。そのことが佐知子にはとても不思議だった。
だって、もし違うパートナーと子供が出来たなら、侑斗は侑斗ではなかったかも知れないのだから。
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