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ふん。なかなか言うじゃない?
でも――分かってないようね。あたし達の仲は、彼女が現れるずっとずっと前から続いているんだから。この絆は、おいそれとは切れなくてよ。
「やめろ。今度という今度は、お前と別れるんだ……!」
そう。じゃあ、どうして、そんなに苦しい顔をしているのよ。
額に脂汗が薄く滲んでいる。彼は返す言葉に詰まった。
ね、教えてあげるわ。奥さん、貴方のスマホで勘づいたのよ。
「嘘だろ……」
いやだわぁ。青ざめちゃって。可笑しいわね。
貴方は知らないでしょうけど、女は敏感で神経質で疑い深い生き物よ。車のシートだけじゃないわ。貴方の服も持ち物も、あたしの残り香を探して嗅ぎまくっているんだから。
そのスマホケース、シリコンでしょ。貴方、あたしと一緒の時も、よく弄っているじゃない? シリコンって、臭いが残るのよ。
「……マジか」
途方に暮れたように、彼はハンドルに凭れて、顎を乗せる。脱力した前のめりの姿勢は、困った時に見せる仕草だ。
――タタン
フロントガラスで小さな水滴が弾ける。暗い空からポツポツと落ちてくる。雨音は、沈黙する車内に忍び込み、あたし達の間に見えない距離を広げていく。
こうしていると、思い出さない? あの夜も、どこかのコンビニの駐車場だったわね。
彼は口を閉ざしたままだ。そのまま心までも閉ざそうとしているかの如く。
あたしは、続ける。
彼が初めて大きな仕事に抜擢された、社会人3年目。ミスを上司に指摘され、プロジェクト半ばでチームから外されてしまった。覚えているわよね……忘れられないもの。コンビニで買った缶ビール。悔し涙の貴方が酔い潰れるまで、一晩中、あたしは静かに慰めたわ。
それから半年後、今度こそ任された仕事で、貴方は結果を残したわね。ちょっとお洒落なバーのカウンターで祝杯を傾けたあの夜、あたし達が交わした口づけの甘さを覚えているでしょう? 自信に満ちた貴方の笑顔、素敵だった……。
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