第一章 運命が聴こえる

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 男がこの家から追い出される様を見送り、シャワーでゆっくりと汗を流し先程の部屋に戻ると、ひとりの男がまるで家探しのように部屋を引っ掻き回していた。 「サーシャ、帰っていたの」  その呼び掛けに振り向いた男は、今日の曇天のような鈍色の瞳を俄かに細め俺の姿を目に留めた。俺の倍はあろうかと言う太い骨格の上に緻密に張り付いた厚い筋肉が、動きに倣い嫋やかに膨らむ様子がぴたりとした黒いシャツ越しによく見て取れる。 「ここに置いてあった紙袋を知らない?」 「捨てた」  そう吐き棄てると、彼は大きなジェスチャーと共に母国ロシアの言葉を乱暴に吐いた。俺には何を言ったか分からないが、きっとオーマイゴッドとか、その類のものだろう。  謎の言葉を吐き捨て続けるサーシャを眺めている事も飽きて、ソファの下に隠しておいた封筒を彼の鼻先に突き出してやる。 「うそですよ」 「棗、全く悪戯ばかりして、可愛い子だ」  そう言いながら鋭い目付きで封筒の中身を確認するサーシャの引き締まった腰に指先を這わせ、俺は出来得る限りに甘い声で囁いた。 「ねえ、疼くの」  サーシャは上目遣いで見詰める俺の頭上で、ゆっくりと首を横に振った。 「また遊び相手を上げていたからだろう?あれだけチーナに言っておいたと言うのに。無能な部下を持って私は悲しい」  稚拙な誘惑がこの男に通用した試しがない。
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