第七章 眠りを忘れたひとへ

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「棗────」  不意に彼に呼ばれ顔を上げると、その瞳は真っ直ぐに俺を見詰めていた。どこか狂おしそうに、眉根を寄せて。 「ロシアに帰らなくてはならない事になったのだ」  余りにも唐突な報告に、思考は追い付いてはいかなくて。サーシャの伸ばした指先が頬に触れた瞬間、訳も分からず小さな震えが起きた。 「君を、連れては行けない」  それがどう言う事か、停止した脳を無理矢理に働かせ考える。サーシャがロシアに帰る。そして、俺は連れていけない────。 「この関係は、終わりって事?」 「いいや。君はこの日本で、私の帰りを待っていてくれればいい」  サーシャの伝えたい事がわからずに、俺は彼を真似るよう眉を顰めた。 「……どう言う事?」 「今まで通りだが、会う時間が減るだけの事だ」  漸く納得がいった。それは、俺にしてみれば特に困る事ではない。  けれど、たったひとりでこの家に毎日いたのでは、俺はきっと廃人になるだろう。そんな未来は目に見えていた。 「サーシャ、仕事をしても良い?」  自分でも驚く程予想外な提案にも、彼は優しく微笑むばかり。 「好きにすると良い」  どうしてもこれと言う何かをしたい訳ではなくて、だが、とにかく何かが必要な気がしていた。それはこれから考えて行ってもいい。時間だけは誰よりもあるのだから。
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