一日目

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一日目

 盗聴されているだの、盗撮されているだの、相手の声が聞こえるだのという話にうんざりする。  熱があるのはわかっているしだから具合も悪いのも理解している。しかし、盗聴器ならばまだしも、盗撮となるとどう考えても家中いたるところにカメラが仕掛けられていない限り妻の言っていることをすることなど不可能なのだ。  台所できゅうりを切っていると「あ、きゅうりを切っている」と言っているといわれても、妻がきゅうりを切っていることがわかる位置に見つけられないように仕掛けられるカメラなどない。  今夜行われる花火大会の花火を見に行くために早めに車でアパートを出たのだが、車の中でそんな話をされ続けると 「もう、お前には付き合いきれない」と我慢の限度も過ぎて車をUターンしてアパートへと帰ることにする。 「お願いだからあそこには帰らないで、どこか別の場所に居させて」という妻の言葉に、かろうじて自制心を働かせて近くのスーパーの駐車場まで行ってそこで少し休むことにした。  自分の心も、そして妻の心も少し落ち着いてきたので花火大会の会場へ行く前に、しばらく前に二人で訪れた不動寺へ行くことにする。 「○さんに何かあったときにはわたしが守ってあげる」と妻は言う。 「喧嘩したときは、わたしは自分ひとりで生きるんだから、なんて言って僕を見捨てるくせに」  幼気な妻に、思わず軽口を言ってしまう。  僕たちが行った場所は身代わり不動だった。  線香を焚き、煙を僕のお尻にかけてくる。 「○さんの痔がよくなりますように。○さんも自分でお尻にかけてよ」 「お前も自分の頭にもかけたらいいよ」  これで安心したという妻の言葉とともに花火を見に行くことにする。  コンビニで「今日は○さんのおごりね」と言いながらお菓子やらなにやらを次々と買い物かごに放り込み、僕は仕方なくレジで清算をし、そして二人で花火を見る。  やがて最後の花火が夜空から消え、妻が言う。 「ゆっくり帰ろうよ」  妻にとっては二重の意味だったのはよくわかった。  花火の余韻と楽しみたいと、声のするアパートに帰りたくないと。
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