第四章 花子と恩返し

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「それからと言うもの、僕は師匠への恩返しがしたくなった。確かに住む環境はガラリと変わってしまったけど、生き抜く事が出来たのは師匠のおかげだったからね。多分それは、彼女が旅先で保護した妖怪達も同じ考えだったんじゃないのかな」  また聞いた事のある「恩返し」と言う言葉。轆轤首さんはその事について、「妖怪は恩返しの概念を大切にしている」とおっしゃていましたっけ。 「恩返し……ですか」 「そう、だから僕は今でも師匠についていっている。いつも僕は助けてもらってばかりだけど、彼女についていけば必ず、何処かで恩返しが出来る日が見つかると思うんだ」  それが彼の、加胡川さんの答えでした。彼にとって天狐さんの存在は、正しく命の恩人そのもの。だからその恩を返すべく、加胡川さんは彼女について回っているのです。悪戯好きでかまってちゃんでもある彼でも、そんな信念は折り曲げる事は無かったのです。  私はふと天狐さんの顔を見上げてみました。彼が彼女に尽くしているのなら、恩を返そうとしているのなら、私は轆轤首さんにどのような形で恩を返せば良いのかな。  少し複雑に考え込んでしまいました。今の私に出来る事と言えば、せいぜいインターネットで調べ物をする程度の事です。おそらく私には、彼のように轆轤首さんの手となり足となる事は、到底出来ません。  であればこれから先、彼女に恩を返すとすれば、私は何をすれば良いのでしょうか。私には全くその答えが思い浮かびませんでした。 「私も、轆轤首さんや天狐さん、そして加胡川さんに恩返しは出来るでしょうか?」  答えが考えつかなければすぐ他人に訊ねてしまう、それも私の悪い癖ですね。  すると加胡川さんは鏡を使って後ろを確認しながら、少し笑みを零しました。「僕は別に対象として含めなくてもいいよ」 「そうだねぇ……。君が轆轤首や師匠に恩返しをするとなると、中々に難しいと思うよ」 「ですよね。私なんて、市松人形に取り憑いたただの霊ですもの。出来る事なんてこれっぽっちも……」  自分で言うと、正直言ってあまり実感が湧かないのですが、他の人に言われるとやはり結構来るものがあります。中々に恩返しをする事は難しい、であれば私は彼女達に何を返せば良いのでしょうか。  信号が目の前で赤になり、車が停車しました。見覚えのある街並みが並んできましたので、そろそろ自宅の方に着きそうですね。  そんな中、加胡川さんは少しの間待つ事を悟ったのか、私の方に顔を向けて言いました。 「でもきっと、君にも恩返しが出来る日は来るさ。何せ恩返しは、返せる形で返せばいいんだからね。君がその人の為を思うように考え、それを実行する。それもある種の恩返しの形だと、僕は思うよ」  少し苦笑いした様子で、加胡川さんは続けました。「それでも最近の師匠の、僕に対する扱いは酷いと思うけどね」  自分がその人の為と思った事を実行する。確かにそれであれば、私にも出来る事なのかも知れません。こんなちっぽけな私でも、それで皆さんのお役に立てるのであれば嬉しいですし。まさか加胡川さんからそんな答えが聞けるとは、思ってもみませんでした。 「加胡川さん。色々と聞かせてもらい、ありがとうございました」  今回で加胡川さんの事、結構見直しちゃいました。初めは鬱陶しい程のかまってちゃんで、その為なら、他人の事なんか全く考えない人物としてしか見えていませんでしたよ?  でも彼なりの理念があり、意思があると知った時、私は深く感銘しました。それもこれからの加胡川さんを見る目が、大幅に変わりそうなくらいです。  彼とは気が合うって事も、次第に悪くない気もしてきていました。寧ろ友達となった今では、意見が合う友達が出来た事への安心感と、幸福感が同時に押し寄せてきています。 「そしてこれからも、よろしくお願いします」  その言葉に、加胡川さんは細い目をより一層細く曲げて、私に微笑みかけてきました。  おそらくそれは、彼なりの気持ちを受け取った合図だったのかも知れません。いいえ、私はそう受け取っておく事にします。 「馬鹿狐、信号が青に変わっておるぞ」 「し、師匠、いつから起きてたんですか!?」  糸のように細い目を精一杯見開いて、加胡川さんは驚きの声を上げました。これこそ鳩が豆鉄砲を食ったよう、と言った比喩が似合います。  どうやらその口振りから想像するに、目が覚めたばかり、と言うわけでもなさそうです。もしかして私達の会話も初めから聞いていたのかも。だとすれば加胡川さん、結構恥ずかしいんじゃないですか。 「全く、嬉しい事言ってくれるのう」慌てた様子で車を発進させた加胡川さんは気付かなかったようですが、天狐さんの口からはそんな言葉が漏れていました。
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