以津魔天

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 灰勝ちの炭はその振動に耐えかねてはらりと解れた。  主人は再び刻み煙草を丸め、火を付ける。  「大体ね、戦ってほどの戦も無くなったこの太平の世で以津真天(いつまでん)何て現れやしないよ」  「いつまでん?」  「おや、それの話をしていたんじゃなかったのかい?」  主はここに住まうどの姐さんより美しい。  この娼館の『姐さん』は男も女もいる。  それでも、どの姐さんより、主が一番、美しい。  男のくせに長めに垂らしたままの髪は明かりを反射してなお黒く、つややかに煌めく。  白を越えてもはや青に近い肌は触れたら溶けるか、あるいは張り詰めたまま容易く割れてしまいそうに儚い。  他の誰よりも美しい容貌をしているのに、主はいつも気だるげに煙管を吹かしながらこまりに身の回りの世話と、世間話の相手をさせる。  「人の遺骸をそのままにしておくと出てくるんだよ、以津真天(いつまでん)と言ってね『今昔画図続百鬼』やら、『太平記』なんてのはそこにもあるだろう」  白い指先が書棚を指した。  背の低い書棚である。部屋の端にちんと座しているが、主の博学がここから来るものだとすれば随分それは小さな箱のように思われた。  「読んでご覧、ひとりでも読めるように読み書きをその軽いお(つむ)にたたっ込んだんだからね」  主は口が悪い。  時々人を馬鹿にするし、つい、かっとなることがこまりにもある。  しかし、折檻はしない。  言葉がきつい。  それくらい。  ここの前に居たとこに比べたら屁でもない。
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