#1 弔辞

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#1 弔辞

血を零したような夕陽が夏を焼き殺した。お気に入りだった向日葵畑も、僕の影も。晩夏の喧騒も。 高い空の上の方から底のない濃紺が降りてくる。冷たい風と落ちた枯葉がその暗闇へ舞い上がる。 夏休みが明け、模擬試験、文化祭と、微睡みながら見ているうちに過ぎ去ってしまった。僕がいてもいなくても勝手に進んでいくし、それを見ていて楽しかった。最近になって貰った記念写真では、僕はいつも通りあんまり笑っていなかったが、ここに写っていることが嬉しかった。 過ぎたことを思い出してばかりの僕はいま、冬を憂いている。 「夏野、模擬試験どうだった?」 「羽多ちゃんよりは良くないと思うよ」 強い風が教室を吹き抜けて、彼女のシャープペンシルが僕の足元に落ちた。拾って後ろの席にコトンと置いた。彼女は僕の目をじっと見ていた。 「なに?」 「何も。ありがとう、今の風すごかったね」秋なんて一瞬で、すぐにあの仄暗い沈黙の季節がやってくる。誰もがその気配に囚われ始めていて、あくびをしたり、居眠りしたり、校舎中が静かだった。風の音と家鳴りがいやに響いた。 「夏野は眠くならないの?」 「眠いよ。羽多ちゃんは?」 「私は真面目だから。ならないよ」 「すごいね」 僕たちの席は教室のど真ん中で、声を潜めて話をするのが癖だった。誰にも聞かれることのない、取り留めのない会話も尊く思えた。 「夏野、また学校来なくなるの?」 いずれ来るだろうと思っていた質問をぶつけられたとき、息を呑んだ。タイミング良く、授業開始のチャイムが鳴った。 夏の間、僕はどうしても名前と同じ音を発されることが多い。それは落ち着かないこともあったが、地に足がついているような安心感があった。 羽多ちゃんも「夏乃」という名前だった。紛らわしいからと、羽多ちゃんは僕にその音を譲ってくれた。 名前を呼ばれない人間は、存在しないも同然だ。同じ名前ならば、その音が指し示すのはより目立つ人間、つまり羽多ちゃんだった。 彼女がどこまで考えて名前を譲ってくれたのかはわからないが、彼女は僕の存在を証明してくれて、僕はこのクラスでの存在を認められた。故に名前を呼ばれれば呼ばれるほど報われ、呼ばれないと、途端に不安が心臓を鷲掴みにする。
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