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「同じ名前だったからか、自分と同じ辛い思いをしていると思ったからかは分からないが…あの子も独り暮らしねえ」
日頃のお礼にもならないけれど、僕は羽多ちゃんをいつも駅の改札まで見送る。喧嘩した今日だって見送った。彼女はその瞬間だけ、とても寂しそうに振り返るのだ。僕がいるかどうかを何度も確かめるから、あの頼るにも頼りきれない細い身体が雑踏の中に完全に消えてしまうまで、みている。
「言いましたっけ、それ」
「聞いた。親は離婚で引き取った母親も早逝…特に一人残されるような形になってしまった子は、特殊な性格を顕すこともある。どうも羽多さんは夏野に依存してる。やっぱりちょっと面倒だ」
僕は深海さんのことを信頼するのと同じくらい羽多ちゃんのことも信頼したい。僕にはこの二人だけしかいないのに、二人の言うことは度々喰い違う。
その時僕は、深海さんの言う方に従うしかない。単純に、羽多ちゃんは学校での立ち居振る舞いを教えてくれる先生のような存在なのに対して、深海さんはより共有部分の多く、僕のことをより知っていて、そして正しい、仮でもれっきとした親だからだ。
「傷の具合はどうだ」
「手が冷たくて、あんまり」
「包帯変えたのか」
「羽多ちゃんが昼休みに」
「そうか。もう一回変えておくか」
二人とも、包帯の巻き方が違う。手つきが違う。羽多ちゃんは優しいが深海さんは淡々として的確だ。お互いの主張を上書きするように包帯を変えようとしているように見える。
知らないことがあるのが怖くないのね、その言葉がずっと突き刺さっていた。僕は自分自身について知らないことがたくさんある。両親のこと、育ってきた環境、この街が繁栄していた頃の光景、親戚といえど、深海さんはどういう繋がりの人なのか。どこの中学校に通い、なぜあの高校を受験したのか。深海さんに無口であれと言われる前は、多弁だったのか。知らないで困ることがあるだろうか。
例えば、高校を卒業して羽多ちゃんが居なくなった時か。深海さんの職場が変わって、この街にいなくなった時か。
後者はともかく、前者はすぐにでも訪れる。
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