#5 無知

2/5
前へ
/87ページ
次へ
終着の駅周辺は真っ暗だ。1時間に一本も来ないバス停も、タクシーの来ないロータリーも、奥に見えるシャッター街も、街灯がポツリポツリと立ち竦んでいるだけだ。冷たい風が裾や袖口から服の中に入り込んで、いっそ吐きそうなほど凍えた。 陽が落ちるのが早くなると、深海さんが必ず迎えにくる。一人で路地に入ってはいけないと言われている。あの入り組んだ路地は高い塀が多く、月の光も入り込まないから、こんな時間に、一人で立ち入るつもりもない。 今日は、少し遅れるから駐在所で待っていてほしいと連絡があった。いつもまっすぐ行く道から少し左に逸れて行くと、深海さんが住み仕事をしている駐在所がある。待っていてほしいと言われた時は彼は不在で、大抵、彼の後輩にあたる西さんという人がいる。 「おー、夏野くん。久しぶりだ」 「お久しぶりです、あの、深海さんが帰ってくるまで待ってていいですか」 「いいよ、好きにしてて」 来客用の席はないため、いつも深海さんの席に座る。ラジオの音声、電話のコール、西さんが走らせるペンの音で狭い仕事部屋は静かに静かに満たされていた。壁紙が淡いベージュで、少しだけ暖かい、この空間にいつも深海さんがいると思うと少しだけ不思議に思う。机の上には閉じたノートパソコン、黒いペンと赤いペン。机の端には崩れたお菓子の小袋の山があって、正面の西さんの机にお徳用の大袋がある。空になったカップ、背もたれにかけられた膝掛け。殺風景で、とても普通だ。 僕が学校に行っている間、深海さんもまたここに静かに座って仕事をしているのだろうか。正面の西さんからお菓子を積み上げられて、どういった表情をするのだろう。あまり減っていないと察せられるお菓子の山から一つ勝手に食べた。彼の姿と、この平凡な事務室が、僕の頭の中でどうしても馴染まない。 「あ、何それ?進路?」 「そうです」 「そっかー、高校生だもんね。どこ行きたいの?」 「そういうのがなくて…」 「それで難しい顔してるんだ」
/87ページ

最初のコメントを投稿しよう!

21人が本棚に入れています
本棚に追加