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「お前のそれ、カフェオレ?」
「あ、はい。飲みます?」
僕がいることに気付いていないのではないかと一瞬思ったが、頭上から声が降ってきた。僕は半分無意識で、進路希望調査書を腕でそっと隠した。カップをひょいと受け取り、嚥下音が一度聞こえた、それを正面から見ていた西さんの嬉しそうな顔といったらなんとも言えない気持ちになった。
「甘…しかもこのカップ…」
深海さんの疲れた声色が、呆れたように少し笑っていた。ここにいると、彼には似つかわしくない暖かな普通の日常が、やはりあるのだと、身を以て思い知る。当たり前のことで幸せなことなのに、僕は彼がここにいることに、違和感を抱いてしまう。
西さんに挨拶をして、深海さんは僕を送るためにまた駐在所を出た。
「あいつ、何か余計なこと言ってなかったか?」
「いえ、何も」
「よく喋ってたみたいだけど」
「西さんはよく喋るじゃないですか」
「確かにな」
空は地平線の濃い青色から高くなるほど暗闇へ。吐き出す息は白く次々とかき消されていく。
僕の足音だけが、シャッター街にジャリジャリと響く。深海さんは足音を立てずに歩くのが癖で、まるで宙に浮いているかのようだった。僕が勝手に重苦しい沈黙に押し潰されそうになっていると、深海さんは他愛のない会話を持ち出した。
「ああ、悪かったなそういえば。迎えに来るのが遅れて」
「いえ、全然。何かあったんですか?」
「…俺らみたいなのが忙しいって時は大抵、ろくなことではないな」
気の利いた返事が全く閃かず、また不自然な沈黙を生み出してしまった。
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