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#7 懐疑
「おっと夏野くん、早退?」
「…はい」
「学生のうちにのんびりしとくもんだよね。無理しない無理しない。先輩まだパトロール中だからゆっくりしていきな」
駐在所へ向かうと、やはり西さんが事務仕事をしており、深海さんは不在。向かい合わせのデスクはまた空席で、僕は軋むパイプ椅子に座った。昼間だから、テンションの高いラジオパーソナリティの声。最近どこかでよく聴く曲。穏やかでなんてことのない誰が見ても違和感を覚えない風景に、僕は溶け込めない。
「先輩、仕事が忙しくてピリピリしてるんだよなあ~」
西さんはいつもの猫のカップにぼやきながら砂糖を入れ続けている。甘党だと言った覚えはないが、それは善意だと分かる。
「忙しいって言ってました。パトロールって、深海さん担当なんですか?」
頭の片隅でずっと気になっていたことが不意に口から出た。西さんはやっと砂糖を入れる手を止めて、こちらを振り向いた。茶髪でフワフワとした髪を人懐っこそうな瞳に突然緊張の色が浮かんだ。口を開けたと思えば、抑えて、何かを言い淀んだ。
「本当は交代制なんだけど、あの工場の跡地周辺の路地、迷路みたいになってるでしょ。夏野くんもアパート以外わからないんじゃないかな。地図はあるんだけど、道が複雑すぎて役に立たなくて。先輩は土地勘があるんだって」
西さんは自分のデスクにある資料に視線を落とした。少し考え込んだように呻いて、首を横に振った。同じ資料があるかと深海さんのデスクを見ると、書類は全て伏せて積まれていた。
「あと…怖がらせないようにって先輩は言わないだろうけど、知らないのも危険だから一応伝えるね。あの辺り、死体が見つかることが多いんだ最近」
西さんの軽率な声色が変わった。その瞬間、深海さんが、冷たい路地に転がった、冷たい亡骸を抱き抱え、黒い血に塗れた光景が、まるで見たことがあるかのように脳内にフラッシュバックした。冬は格別に不穏。自分が何者かわからなくなり、そうなると寒空の下死ぬために立ち尽くすような人生になってしまう。
「こっちの見解としては、ここに殺人犯が湧いてるんじゃなくて、死体を棄てにきてるだけって感じ。夜中とかにね。だけど、夕暮れ時なんかも暗いから、仮に死体を運んできたところに鉢合わせたりしたら大事だから。先輩に口酸っぱく言われてるだろうけど、本当に夜間や、単独での行動は避けるようにね」
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