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#3 過不足のない生活
夢は見ない。よく眠れている証拠だと聞く。
今朝も始発に乗るため、朝5:30きっかりに起きると、深海さんがいつも通りソファにいた。座ったまま腕を組んで、息も立てずに眠っていた。今年初めて、黒いコートを着ているのを見た。日に日に寒さが深まっていく。この人は黒がよく似合うなと実感するのも、また一つ冬の足音が近づいて来る証だった。
音を立てないよう冷蔵庫を開け、食パン一枚、牛乳をコップに半分くらい注ぎ、足音を潜めて動いた。ただソファは一つしかない上にあまり大きくないため、できる限りそっと座ってみたが、それと同時に彼は静かに瞼を開けた。
「おはよう。よく眠れたか?」
「はい、いつも通り。深海さんは?」
「俺はちょっと寝不足だ」
彼はいつも僕が寝てから駐在所に戻り、僕が起きる前にアパートにやってくる。そのまま、僕と一緒に家を出て、早朝のパトロールに出かける。この人気のない街に。だからいつも寝不足だ。
霧と悪臭の漂う早朝の路地は、随分と冬らしくなってきた。アパートは住宅街の中にあるが、ほとんど住民を見たことがない。深海さん曰く、実際、ここに住んでいる人は少ないそうだ。
部屋の窓からも見えるほど、大きな黒い廃工場がある。骨組みだけになっている部分もあるが、タンクみたいなものがいくつもある。強い風が吹くと不気味な音を立てる。
聞いた話だが、ずっと昔あれが稼働していた頃は、この辺りは繁華街だった。事故を起こして毒水が町中に流れ出し、土地が汚染された。植物や動物がいなくなった。解体の目処が立たないうちに人が去り、人がほとんどいないせいで結局、解体の話も放置されていると聞いている。
「あの向日葵、なんで咲くんだろうな」
深海さんが分からないことは、僕には分からない。
路地のように入り組んだこの石畳の道は、ほとんど工場の敷地内みたいなものらしい。もちろんここに残ったのは僕だけではないが、通学の時間がこうも早いために人の気配を感じた試しがない。あのアパートの部屋は両親が買ったものだから、捨てるわけにもいかず僕を住まわせている。あの工場の従業員だった両親は僕を置いて、一体どこへ行ったのか、何度か聞こうとしたことがあるが、明確な答えを得たことはない。
「じゃあな、気をつけて行けよ」
「はい。深海さんも」
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