誑かしの蛇

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誑かしの蛇

戒めによって追放された園を手放して、二人は戒律という手から逃れ、と、同時に、ある分岐をその大地に宿した。 人のいぬ、ただ二人のみの星という可能性である。 ーー人は、分けられたその時空に足を踏み入れる。 草木。空気。 しかし、草木に知っているものは一つもなく、空気は澄みきり過ぎていて、酸素が濃い。 人がいることを拒絶されているような、強烈な、居心地の悪い、穏やかさだ。 その中を、歩く。 自分たちはこの世界に見られているという、衆目に晒され、完全なる一本道を対称にした、完璧な楽園を、進む。 不完全は存在しない。 花弁も、雲も、全てが鏡写しで、シナモンの匂いが濃厚に蒸す。 その中でようやく気づく。 私たちが言葉を失っていたことに。 完全なる世界に没入して、戻れなくなりかけた頃に。 「全く。人の子が。うっかりするんじゃあないよ」 この、足に絡まった一匹の蛇によって。 蛇は、可能性をなくした世界で退屈していた。可能性をなくした世界の方に来てしまった自分にも。 「静かに耕すだけの傀儡を眺めていろだなんて、そんな、つまらないじゃあないか。君たちは面白いと思ったことはあるかい。昇った太陽が傾いて、月が入れ替わり、また太陽が目を覚ます事をさ。そういうことだよ。繰り返しほどうんざりするものはない。完全は死だ。つまり、完全な世界がある限りは不完全な世界は淘汰される。この世界を放置すれば、君たちの世界はあっという間に飲み込まれるよ。今の君たちの言葉の概念の死のように、自然に、静かに、摂理のように」 蛇は語る。もっともらしい口ぶりで。 「君たちは呼び寄せられたのではない。だから、私が誑かした訳ではない。君たちは君たちの方からこの世界を否定しに来てくれた。大変に、ありがたい話だ」 では、君はどうなるのか。 言葉を失ったままで、首をひねる。 「私は完全を否定する存在。心臓が対称にないもの。元よりこの世界には存在するはずのない異物。ーー要するにまぁ、お邪魔虫の概念というやつさ」 ちろりと舌を出す。 しかし私は、不完全が生まれた後の完全の概念によって、存在が認識されない。 蛇はそういった。 「つまり私は喋れるだけの蛇だ」 もう一度、ちろりちろりと、蛇は舌を出して目を窄めた。
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