グループ名は未定

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グループ名は未定

 ピン、――ピン、  帆乃香のスマホがメッセージを受信する音を背に、頬杖のままビルの隙間から見える空を眺めた。  私たちは社長に呼ばれ事務所内の一室で実紗と千穂を待っている。全員が揃うのは創刊のファッション誌でモデルをして以来だった。  最初にこの部屋のドアを開けたのは私だ。次に帆乃香が到着した。窓側に座っている私を見ると一瞬動きを止め、あきらめたように、おつかされま、と呟いて離れた椅子を引いた。そうして会話もなく、気がつくと帆乃香はスマホの画面に見入っていた。  どうも、合わない。  そういう相手は世の中に何人かいる。帆乃香にとっての私はそういう人種らしい。私の側に帆乃香を嫌う理由がないのだから、ふたりの間に妙な空気があるとすればそれは帆乃香の事情だと、私は思っている。  時計を見るついでに、というか帆乃香の様子を窺うついでに壁の時計を目視した。気詰まりな空間を意識すると、狭くもない室内なのに酸素が薄い気がしてくるから不思議だ。  素早く帆乃香を観察し、今度は眠たいふりで机に頬を押しつけてまた窓の向こうの狭い空を見る。  帆乃香と初めて会ったのは、家を出たその足で名刺を手にここへやってきた日だった。  大きい布のバッグを肩から提げて、受付で指示された部屋のドアを開けたとき、帆乃香は仕事の打合せをしていた。童顔で巨乳、なのにスレンダー。今でこそ“よくあるタイプ”だと思えるけれど、田舎から出てきたばかりの私には帆乃香のなにもかもが衝撃的だった。細く長い脚が強調される白いショートパンツ、華奢なネックレスに負けない綺麗な肌と鎖骨、シャツと同じオレンジ色の爪、ミュールから覗いている足の爪にも同じ模様が描かれている。無造作に束ねたように見えるロングヘアも後れ毛の一本さえ計算されたかのようなシルエットを作っていた。頭の天辺から足の先までどこにも弱みがない。これが芸能人なのかと、帆乃香を見下ろす格好で凝視してしまった。  ……あれがよくなかったのかもしれない。  思い返せば、それ以外に帆乃香から敬遠される理由は見当たらなかった。    帆乃香がスマホをバッグにしまった。音が止み部屋の中に静寂がやってきた。思い切って顔を上げた。 「みんな、遅いね」  喋りかけてみた。 「……」  無言。無視というのとは違う。なぜなら話しかければいつも五秒以内には言葉が返ってくるからだ。 「……まだ時間、早いからね」 「……」  私も黙る。そんなことは一番先に来た自分が知っている。ええと――、  頭の中で必死に話題を探しているとドアが開き千穂が飛び込んできた。 「おはよー!」  派手な音を立ててテーブルの上にバッグを置いた後、そこへ突っ伏す格好で嘆きの声が出る。 「聞いてよ。今朝ね、ほんの二、三分遅れただけなのにゴミ収集車行っちゃったんだよ。ありえないよ。またゴミ袋持ってアパートに戻るってさあ」  千穂が口を開くと空気が急速に丸くなる。美人に正統派と変則派があるとすれば、千穂は後者だ。瞬間的に人の心を奪うタイプではないけれど、会えば会うほど親近感が増していく。喋り方は子供っぽいのに表情が中性的、というのも面白い。 「これだもん、働く女は自炊なんかできないよね。次のゴミの日まで生ゴミの臭いと暮らすって、地獄だよ。もう帰りたくないよぅ」  千穂は両足をばたつかせる。 「しかもさあ、明日アパート全体が断水なんだって! シャワーどうしよう!」  「スパにでも行ったら?」  いつの間にか、帆乃香が千穂のほうへ体を向けている。 「スパなんてオシャレなところじゃなくていいよ。銭湯が近くにあったらいいのに」 「あ、うちの近くにある。行ったことないけど」 「帆乃香、実家は東京だっけ?」 「うん」 「いいなあ。ね、ね、東京の子って中学とか高校とかどんな風に過ごすの? 放課後に渋谷で買い物したり、行きつけのクラブに行ったりした?」  話題が『ゴミの日』から『断水』を経て『学生時代』に移った。千穂はコミュニケーション能力が高い。周りにいる人間を自然と巻き込んでいく。さっきまでつまらなそうにしていた帆乃香も今は口角を上げている。 「あー、いたかな、そういう子も、中には」 「やっぱり? 華やかだよねえ。私の通学路なんて田んぼの真ん中だもん。そこを自転車で突っ切って行くの。寄り道する場所なんて皆無! ね、昌は? 昌も東京の子じゃないんだよね?」 「うん。私も、千穂と似たような環境」 「だよね、田舎なんかどこもそんなもんだよね。満員電車に乗って通学とか、一度でいいからやってみたかったなあ。『東京の高校生』ってどこか遠い国の人って感じがする」  千穂は誰かを仲間外れにしたりはしない。かといって恩着せがましく親切なふりもしない。 「みさちゃん、おつかれー」  東京と地方の高校生論を取り留めもなく喋り続けていた千穂が、いち早く背後の気配に声を掛けた。 「お疲れ様」  時間通りにドアを開けたのは実紗だ。人から嫌われる要素をひとつも持たない正統派の美形で、いつも嫋やかに構えている。七、八年前に五人組のアイドルグループに属していたらしいが、私の記憶には残っていない。もっともグループの活動は二年間だけで、その中でも実紗は受験勉強を理由に早々と脱退したらしい。復帰後、当時の事務所へは戻らず『クロムプロモーション』へ入った理由は誰も知らない。 「おつかれ」  千穂に続き、帆乃香も親しげな笑みを向けて片手をひらひらと振る。実紗が椅子を引いた。これで四人は正方形になった。 「この前みさちゃんが出てた二時間ドラマ、切ないお話だったね」  千穂が身を乗り出した。  私も寮のテレビで見た。実紗の役は正直、大した役じゃなかった。 「カーテンの向こうで雨が降っていることを感じさせるシーン、すごくよかったよね。あとさ……」  演出や出演者の演技について語ると止まらない千穂に、実紗は相槌で返している。  実紗は悪口や不平不満を言わない。――だけど、千穂を嫌っている。  楽しそうにしている千穂を遠くから眺める目は冷めているし、仕事が入ったと喜ぶ千穂に無意識に下唇が歪むこともある。そして、そのことを私が“知っている”ことを、知っている。  実紗は私にだけ、人には見せない顔を見せる。それはつまりは、私をライバルだと思っていないからだ。 「帆乃香のCM、可愛いね。私の周りでも評判いいよ」  実紗がさりげなさを装って千穂との話題を終わらせた。 「え、ああ、うん……」  帆乃香は歯切れが悪い。  帆乃香が出演した菓子メーカーのCMはシリーズもので、帆乃香の役は黒ウサギだった。ブーツも尻尾も全身黒、ふわふわの長い髪だけがアクアグレイだ。牧草の中に混じっていた菓子を知らずに口に入れ、頬張ったままその美味しさに両目を見開くというワンカットだがなんとなく目が引き寄せられてしまう。 「そういえば千穂、役付きで映画に出るんだって?」  帆乃香は再び話題を千穂に振った。 「うん。そうそう。前に出た映画のときは台詞がちょっとしかなかったんだけどね、そのときの監督さんが今回声を掛けてくれたんだ」 「大抜擢じゃん。気に入ってもらえたってことでしょ」 「そうかな。えへへ」  視界で実紗の体温がすっと冷めた気がして、私は身構えた。 「――おう、揃ったか」  その声に我に返った。握りしめた拳に意識を落とす。豪快に開いたドアから薙沢社長が姿を見せなければ、自分が何をしでかしていたのかと思うと身が竦んだ。 「どうした、昌?」  縋るようにして見ていたらしい。社長に気づかれた。 「……なんでも、ない」  辛うじて答えた。  
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