1.魔法使いか魔女

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   ***  柳彩人が菓子折を持って〝後日お礼〟にやってきたのは、その週の土曜日のことだった。  土日は株や為替の取引はないが締め切りに追われていない限り、規則正しい生活を心がけている学の朝はいつもルーティンだ。前場(まえば)がはじまる前には目覚めの一杯と共にパソコンの前に座っていたいので、大体八時前には起床する。目覚ましは特別な用事がない限りセットしないが、寝室にはカーテンがないので差し込んでくる朝日で目を覚ます――……前に大体シンクに起こされる。  今日もそんな調子で七時にはシンクの肉球パンチ(尊い!)で起床した。  いつものようにコーヒーを淹れ、優雅な朝の時間を楽しんでいた、そのときだ。  ピンポーンと、インターホンが鳴り、思わず学はリビングの壁掛け時計を見上げた。  今日は心待ちにしていたバルコニー用のテーブルとイスが届く日だ。だが、まだ時刻は朝の八時になろうという頃。宅配便にしてはいささか早すぎる。それにこの音はエントランスではない、玄関のインターホンだ。  モニターを覗くと、先日顔を合わせたばかりの柳の姿ある。 「おはようございます。朝早くから申し訳ありません」  玄関を開けると、柳は先日同様に深々と頭を下げた。スーツ姿とは打って変わって、今日は淡い水色のポロシャツ姿だ。非常に爽やかである。 「先日は凛が大変お世話になりました。あの、心ばかりのものですが――……」  そういって柳が差し出したのは銀座の有名店の最中(もなか)だった。 「いえいえ、お構いなく……」と言わねばならぬところだが、店の袋を見た瞬間、自身の好物と判断した学の表情が分かりやすく輝く。 「うわぁ、嬉しいですっ! 好きなんですよ、ここの最中。並ばないとなかなか買えないんですよね」  最中を恭しく受け取ると、柳も思わずといった様子で顔を(ほころ)ばせた。 「喜んでいただけたのならよかったです」 「あっ……すみません、俺、はしゃいじゃって……」  照れくさそうに謝ると、柳は益々(ますます)笑みを深めた。笑うとより一層の男前だ。  学は目の前の男をまじまじと観察した。  173㎝の学より、背はいくらか大きい。おそらく180㎝はあるに違いない。同年代に思えるが、体格に恵まれたこの男はいかにも体育会系で、学生のように若々しくも見えるし、それでいて大人の包容力も感じさせる。誰かの〝パパ〟なんて、学には未知の肩書を背負うがゆえなのかもしれない。くっきりとした二重瞼と鼻筋の通った精悍な顔は、まさに正統派ハンサムだ。  柳が帰った後の部屋で最中(もなか)の箱を眺めていると、クンクンと湿った鼻先を押し付けられて我に返った。アールが「ご飯はまだ?」という顔で、見上げている。朝の一杯の後にはご飯がもらえると分かっているのだ。 「あー……ごめん、ごめん。飯な?」と言いながら包装紙を破り、まずはお一つ。  すっかり冷めてしまったコーヒーを啜りながら、有名店の最中を口の中に放り込む。皮がパリパリで香ばしい。最中を食べて感動したのは、後にも先にもこの店だけだ。 (それにしても柳さん、いい趣味してるなあ……)  テーブルとイスのセットが届いたら、改めてお茶にしよう。  今後、あの父子(おやこ)に関わることも、もうないだろう。
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