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「学、後で店に来い。その髪なんとかしてやるよ」
「え~……別にいいよ、そんなん。今日定休日だろ? そのうち適当に行くからさ」
「そんなんじゃねぇだろうが」
ドスの利いた声で凄まれて、学は苦笑いを浮かべるよりない。
「……分かった、頼むよ」
そこまで言われるほど酷いとは思わなかったが、ここは大人しく任せるのが吉だろう。
聞けば午後から後輩がカットモデルを連れてくるため、見てやる約束になっているらしい。ついでに学も実験台に加えられたわけだ。
「後でちゃんと俺が直してやるから」と友人は機嫌よく笑う。
勤めていたときは、こうやって定休日だろうとよく練習や勉強会に参加したものだ。たった二年前のことが、酷く懐かしかった。
あの頃腱鞘炎が悪化しなければ、学は今でも美容師を続けていただろう。だが、現状に不満はない……はずだった。
ただ、考えずにはいられない。この二人のようにキラキラした未来が、その可能性が、自分にも残されていただろうか、と。
最寄り駅から自宅マンションまでは徒歩で十分程度だ。
その途中には都立の小中学校が並んで建っていて、昼間は大抵ガキ共が――……いやいや可愛らしい子どもたちが元気に走り回っていた。今は既に部活動の時間らしく、中学校のグラウンドではジャージ姿の生徒が励んでいる。
美容院に寄っていたらすっかり遅くなってしまった。カラフルなランドセルを背負った子どもたちが、大声で笑いながら学の横を駆け抜けていく。方向的に、同じマンションを目指している模様だ。
「……さくら、さん?」
遠慮がちに声を掛けられ、学は振り返った。
空耳かと思うほどの微かな声だが、たしかに聞こえた。学の後ろを一人で歩いていた細っこいガキ……凛だ。振り返った学の顔を見るや、目を輝かせて駆け寄ってくるではないか。
(げ……っ)
やはり子どもは嫌いだ。無邪気に近付いてくる凛に、ついつい身構えてしまう。
ところが元気よく駆けてきた割に、「あ、あの……こんにちは……」と、凛の声は今にも消え入りそうだ。
「おう……こんにちは」
凛は学の隣に並んで立ち、マンションに向けて歩きだした。なんで隣に並ぶんだよ、と苛立ちを感じるものの、この自信なさげな子どもを無視して歩くのは無理だろう。学は基本的に外面がいい。
「あ、あの……さくらさん。また、アールに会いに行ってもいいですか?」
とんでもない。御免被る。
「……ああ、また今度な」
しかし口をついて出たのは拒否の言葉ではなかった。
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