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部屋に向かって歩きはじめたときだ。
内廊下にはホテルと見紛うようなカーペットが敷き詰められており、統一感と高級感を出している。そのシックで落ち着いた廊下に……エレベーターホールに一番近い部屋の前に……何か《・》がいた。
膝を抱えて蹲っていたのは、黄色いメトロ帽子を被った小さな子どもだった。
子どもは期待いっぱいの目をして勢いよく顔を上げたが、学と目が合った途端、あからさまに落胆の表情を浮かべた。この家の子どもだろう。鍵を忘れて、家の中に入れないようだ。
居住スペースに辿り着くには、このマンションでは二重で鍵が必要だ。まずエントランスに入るまでの自動扉、そしてエレベーター。一階のエレベーターは、専用の鍵をかざさなければ扉が開かないようになっている。だが、上手いこと住人に便乗すれば居住スペースには辿り着けるだろう。ひょっとすると帰ってくるまで鍵がないことにも気付かなかったのかもしれない。
それにしても、見たことのない子どもだった。最近越してきたのかもしれない。肩までの髪は毛先も不揃いかつボサボサで、控えめに言ってもみすぼらしい。
(まぁ、俺には関係ないんだけど……)
大きな声を上げ驚いてしまったことが気まずくて、学はアールを連れてそそくさと子どもの前を通り過ぎた。子どもの方もアールを一瞥しただけで、学にはさして興味を抱かなかったようだ。もう元通り、膝を抱えて蹲っている。
足早に部屋の前まで辿り着き、鍵を開ける。扉が閉まった瞬間は、ようやく無事に帰ってこられたことにホッとした。
出迎えにやってきたシンクが甘えた声で頭を擦り付けてくると、学は思わず目を細めた。クールな印象を抱かれることの多い切れ長の奥二重の目が、たちまち蕩けたように優しい印象になる。
子どもは嫌いだ。声を聞くのも嫌だ。
それに引き換え、この二匹の何と愛らしいことだろう。
「やれやれ……どっと疲れたよ。シンク、ただーいま。寂しかったか?」
撫でろと言わんばかりに頭を突き出す彼女の小さな額(ひたい)を、指先で引っかくように撫でてやる。
(……あの子どもの親は、すぐに帰ってくるんだろうか?)
例えすぐに帰ってこなかったとしても、ここは建物の中だ。内廊下は空調も完備で、危険もないだろう。それに、この階にも同じ年頃の子どもを持つ家族が住んでいる。手を差し伸べるとしたらそんな同じ年頃の子を持つ親に違いない。
学には、まったく、これっぽっちだって関係ない。
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