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そっと扉を開いてみると、件の子どもは同じ場所に蹲ったままだった。
結局、五分経っても十分経っても子どものことが頭から離れることはなく、十五分経ったところで学は音を上げた。
サンダルをつっかけ、元来た廊下を戻る。子どもを見下ろし、自分でもどうかしていると思った。
「おい、お前」
子どもは、訝しげに学を見上げている。
「親はいつ帰ってくるんだ?」
「……お前じゃない。凛」
「名前なんか知るかよ。親はいつ帰ってくるかと聞いてるんだ」
「分かんない……いつも遅いから」
「管理人に鍵開けてもらえないのか?」
マンションには平日の昼間は管理人がいる。越してきたばかりのようだし、管理人と挨拶を交わしたのもまだ最近のことだろう。管理人がこの子どもを覚えていれば、きっと鍵くらい開けてくれるはずだ。
「今日はもう帰ったって、貼り紙してあった」
凛と名乗った子どもは、くりっとした大きな二重瞼の目を不安げに揺らしている。
――それがいけなかった。
学の目には、それが捨てられた犬だか猫だかに見えてしまったのだ。
思わず口を突いて出た言葉に学自身、腰を抜かしそうな程驚愕した。
「うち、来るか?」
「えっ」
子どもは困惑していた。
当然だろう。学だって困惑している。
子どもは迷いながらも「でも、知らない人についてっちゃダメって、パパが……」と模範解答を口にした。実に賢明な判断だ。
見たところ、ただの痩せっぽっちのガキだが(おまけに髪もボサボサだ)、世の中には色んな嗜好の人間がいる。色白で華奢、ぱっちりした二重瞼の、まあ、可愛いと言えなくもない顔だ。よかれと思って不用意に家に招き、幼女趣味の変質者にされてしまっては堪らない。
「あ、そ。なら好きにしな。一応、俺は声かけたぞ。無関心な大人にはなりたくなかったからな。じゃーな」
あのままいつまでも廊下で蹲っているのかと思うと、知らんぷりは気が咎める。だが、これで良心に言い訳ができるというものだ。
「あ……あのっ!」
自身の部屋の扉に手を伸ばしたとき、不意に凛が立ち上がった。
「あの、ワ……ワンちゃん、いますか?」と、意を決したように叫ぶ。
さっきアールを見ていたのは気のせいではなかったようだ。
「……猫ちゃんもいるぞ」
凛の表情がパッと輝いた。
(ほんとに、今日の俺はどうかしている)
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