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今日子
12年後‥
2018年 平成30年 優作の13回忌
幼い頃、親が死んでしまう悪夢にうなされ真夜中に目覚めて泣いたり、縁起でもない事を考えて眠れなくなる様な夜があっても二段ベットの下の段を覗くといつもそこには静かな寝息と共に気持ち良さそうに眠る優作の寝顔があった。
そんな今日子も人の親となり、いつしか自分の親の死という物を現実として意識し始め、何となくぼんやりとではあるがまだ元気なのに親の老後の姿だったり葬儀の事など想像したりした‥
いつかは来るであろう親との別れ‥
そうなっても私は一人じゃない‥
私には弟がいる‥
そう思うと今日子は安心できた。
例えば皆んなが帰ってしまった通夜の晩「やっと落ち着いたね‥」なんて言いながら優作と二人で冷めたおにぎりを食べる。
食べながら子供の頃の事を、あの時はああだったこうだったと取り留めのない思い出話をして夜を明かす。
そうやって少しずつ親の死を受け入れてゆく物なのだろうとぼんやりと考えたりした。
優作が亡くなる一週間前、今日子はそれまで頭の隅で思い出す事も無くなってしまった幼い頃の優作の姿が鮮やかな色をまとって次から次へと頭の中に溢れ出す不思議な感覚を覚えながら子供の頃の思い出に懐かしい気持ちで浸っていた。
お互い子供を持ち仕事も忙しく中々ゆっくり話せないなあなんて思っていた。
優作の死はそんな最中の出来事だった。
まさに青天の霹靂‥
よく「虫の知らせ」と言うけれど今思えばあれが確かにそうだったと今日子は思う。
今日子はこの夏、優作と家族の物語をやっと最後まで書き上げることが出来た。当時の今日子にとって書く事は現実と向き合うという事だったので思いはあっても心が追い付かず 、辛い気持ちに負けてしまい途中で何度も断念してきた。
なかなか正面から向き合えないまま、時間だけが過ぎて行った。三日坊主も相まって十年以上もの長い間 手が付けられずにいた物語だった。
それでも今日子が「書きたい」と強く思ったのは、優作を亡くし語られる事のなくなってしまった姉弟、家族の思い出話を年を取って忘れてしまう前に誰かに知っていて欲しかったからかもしれない。
優作がいなくなってしまった事を悲しい思い出で終わらせたくない。その思いはいつしか今日子の中で「優作が笑ってくれる様な物語を描いてみたい」と言う気持ちへと変化していった。
時が流れ今日子にとってその作業は楽しくもあり可笑しくもあり、そのくせ少し切なくて‥
同時にあたたかく愛おしい。
まさにあれこれ欲張りな家族の時間旅行となった。
拙い物語ではあるが‥
「姉ちゃん、ようやく最後まで書けたな」と呆れながらも自分の事のように喜んでくれる優作の顔を今日子は今思い浮かべていた。
子供の頃から優作は今日子の"自慢"だった。
優作が何かしたか?と、問われると、特に何もない。
ただ、弟‥というだけ。
ただ、それだけ‥
歳をとっておじさんになろうとも弟とは可愛いものなのだ。姉弟とはそんなものかも‥と今日子は可笑しくも思う。
自分を自慢できるものなど何一つないけれど‥
いつか優作に会えるその日までただ力強く前を向き顔を上げ淡々と歩いてゆこう‥
自分にその時が来るまで‥
優作の13回忌を終え今日子の心はやっとここまで辿り着く事が出来た。
物語を書き終えてみて今日子は気付いた事がある。
それはこの物語を仕上げるまでに費やした時間。
慣れない作業に拙い文章、思考錯誤しながら優作との思い出を掘り起こし、時に筆を止めては泣き、時に思い出し笑いをしながら言葉を選び、物語に蘇らせ、それを描いて一つの形として表現するまでに費やしたこの時間。
これこそが今日子なりの優作の死に対する乗り越え方だったのだということ。
そしてその事が自分が今何をやりたいのかを教えてくれた事。
今日子は、ふいに空を見上げた。
空は青く澄み渡り遥か上空には真っ白な飛行機雲が‥
それはあたかも今日子の想いが空にいる優作に届けとばかりに一直線に伸びていた。
ふと優作が笑った様な気がした。
了
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