弥生と続縄文

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 いわゆる弥生時代と呼ばれる時代は、日本にとって歴史上最大の、異文化交流であったといっても、過言ではないであろう。 「これは、(くわ)といって、田畑を耕す物だよ」 「田んぼもまっすぐになってて凄いですね、私たちの村にはこんなものありませんでしたし」  先住民である、在来の縄文文化を持った人々は、言葉の壁があったも、交流を重ねるうちに、それも無くなっていた。 「しかし、水田を引くには水が必要になるのです。これが、どうしても(いさか)いの元になりやすい」  男性はそういうと、ため息をはく。 「そのために、環濠集落(かんごうしゅうらく)などというものが必要になるのですか」 「そうですね、水だけで無く、現状人口が増え続けているのも、原因ですね」 「あなたたちの、祖先が海を渡ってこちらに来たから?」  女性の言葉に男性は軽く首を振った。 「それも多少あります。ですが、皮肉なことに。水田が原因なのですよ」 「水田が?」  不思議そうに訪ねる女性に、男性はうっすら寂しそうな表情で頷く。 「水田が出来ることで、安定した食料を手に入れられるようになり、人口が増加しました。それが原因で、食料不足になったのですよ」 「え、安定した食料が手に入るようになったんですよね、何故ですか?」 「安定した食料で増えた人口を、まかなう食料が手に入らなくなったのですよ」  その言葉に女性は唖然とした。かつては人の数が少なく、山や海の幸だけで暮らせたものの、徐々に増える人口で、食料が不足した。  そのため人々は、栽培することを覚えるも、安定した農業を営むことは出来ず、幼い者が亡くなることは少なくなかった。 「食料が増えたことで人が増え、人が増えたことで食料が無くなる。なんとも皮肉なことですね」 「そうですね、争いは人が多いところほど、多いようですから。ここもそうならないことを祈るばかりです」
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