Ⅳ テンション・リダクション

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Ⅳ テンション・リダクション

「お、おつかれさまです」 「おつかれさまです! あっ、星越先生」 「はっ、はい」  「先生」と呼ばれることにも、あまり違和感を抱かなくなっていた。はじめは反応すらできず、「誰か呼ばれていますよ」なんて他人事のように聞き流していたかもしれない。採点業務で応募したはずだけど、気づけば週3で個別指導を担当するようになっていた。筆記試験と面接を受けたことも、研修で模擬授業をしたことも、つい昨日のように思い出される。ただ、もう1年前の出来事だと気づかされて、不思議な感覚が押し寄せてきた。 「城北中(じょうほくちゅう)のテスト範囲って出たか分かります?」 「あっ……授業の時に聞いてみます」  年齢を重ねるごとに時の流れが早くなっている。小学校の時は、1日だって1年だってあんなに長かったはずなのに。たしか、高校3年生の時もそんなことを考えただろうか。体感的な時間の長さが自分自身の年齢と反比例する「ジャネーの法則」は、やはり正しい。小学1年生にとっては6等分したうちの1年だけど、高校3年生にとっては18等分したうちの1年。そして、大学2年生の僕にとっては20等分したうちの1年になる。きっと大学生活のなかでも、時のスピードはどんどん加速していくのだろう。 (……こんなに休みでいいの?)  大学の学年暦を見たときに、夏休みや冬休みの長さに驚かされた記憶があったけれど、塾の冬期講習や夏期講習でたくさんシフトに入ったせいか、終わってみればあっという間の感覚だったかもしれない。今回の夏期講習も2週間ほど授業漬けの日々が続いたし、朝から晩まで、休憩を挟んでフルに入ったこともあった。この夏は、1:2の個別指導だけでなく、5~8人ほどを一斉に見る少人数個別という形態も経験した。そして、小学生から高校生まで幅広く受け持つなかで、小学生に授業をすることの難しさにも気づかされた。  学習内容は中学・高校と進むにつれ難しくなっていくイメージがあるかもしれないけれど、教える立場になると、小学生へ分かりやすく正しく伝えることの難しさを実感する。それに、僕が中学や高校で習ったことを小学生が当たり前のように解いている光景にも驚かされた。難関中学の入試問題でよく出題されるらしいけれど、まさか小学生に「エルニーニョ現象」や「ラニーニャ現象」を解説する日が来るなんて。 「あっ、ほっしー!」  夏期講習で色んな子と出会い、普段は担当していない生徒からもあだ名で呼ばれるようになっていた。生徒には言ってないけれど、「ほっしー」というあだ名が地味に気に入っていたりもする。彼らと同じ年齢のぐらいの時、先生のことをあだ名で呼んでいた同級生は多かっただろうか。でも、先生に向かってではなく、友達同士の会話で使っていた感じだと思う。子どもの頃は「先生の前で言ったら怒られるだろう」なんて思っていたけれど、実際はみんながみんなそうではないのかもしれない。 「今週、大会なんですよ~」 「そっかぁ。何部なの?」 「サッカー部」 「おっ、ポジションは?」 「フォワード」  あまり「演じている」という自覚はないけれど、ここに来ると、ちょっとだけ違った自分に出会えるような気がする。同級生や年上と話す時とは違って、(よど)みなく堂々と話せるような気がしていた。 「んじゃあ、授業頑張ってね」 「ほっしーもね」 「ありがと」  一人でボーっとする時間も好きだけど、こうして活気のある空間で過ごす時間も悪くないような気がしていた。ゆったりと流れていく時間もいいけれど、慌ただしく過ぎていく時間もいい。そこに「やりがい」や「充実感」があるから……というのは、やはり表向きの理由になってしまうだろうか。実際は“何か”を忘れられるからなのかもしれないし、気を紛らわすことができるからなのかもしれない。いずれにしても、“何か”を考える余裕がないくらいに忙しくしているほうが、今の僕にはちょうどいい。 「柚希(ゆき)さん、こんばんは」 「あっ、こんばんは~」 「中間テストの範囲って、もう出たりしてる?」 「……あっ、今日出ました」  違う世界を知って、特定の世界に依存しなくなった自分がいる。その世界しかないと思っていた自分はもういない……はずだ。いや、まだいるのかもしれないけれど、そこに目を向けないように、目を向ける暇がないくらいに充実した日々を過ごせていることは間違いなかった。表向きの理由は、もう本当の理由になりつつあるのかもしれない。
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