Ⅲ ザイオンス効果

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「す、すみません……求人雑誌を見てお電話したんですけど」 「はい、ありがとうございます」 「た、担当の方はいらっしゃいますでしょうか」 「はい、少々お待ちください。」  敬語の使い方は間違っていないだろうか……なんて考えたものの、正直それどころではなかった。受話器の向こうの保留音に飲み込まれるように、頭が真っ白になっていく。こんなにも不安を掻き立てられる『エリーゼのために』は初めてだった。 「お電話代わりました、担当の熊倉(くまくら)と申します」 「は、はじめまして、星越遥斗と申します。あの、求人雑誌を見まして」 「ありがとうございます。非常勤講師の応募でしょうか?」 「あ、いや、その……採点業務のほうなんですが」 「採点……あっ、採点業務……ですか」  電話の向こうから、何とも言えない空気が漂ってくる。何かまずいことでも言ってしまっただろうか。電話する場所を間違えてしまっただろうか。体じゅうから鼓動を刻む音が聞こえてきそうだった。 「採点の業務なんですが」 「……は、はい」 「テストは多い時で月に2~3回ぐらいなんです」 「あっ、そ、そうなんですね」 「だから、採点の業務はそこまで多くなくて……」  どうやら、採点業務だけを担っている人はいないようだ。あくまで普段は個別やクラスの授業を行って、テストの時に試験監督や採点業務に入るようなイメージらしい。 「とりあえず、筆記試験と面接やりませんか?」 「あっ、えっと……よろしくお願いします」  断りたくても断れない……それは昔から変わらなかった。とにかく、当たり障りのない断り方が分からなかった。そもそも自分が勘違いしていたのが悪いし、ここで断ったら相手に申し訳ない。それに、断ることによって相手を不快にさせてしまうことは絶対に嫌だった。ただ、その一方で背中を押してもらったような気がするのも事実。採点業務を担う先生よりも、もっと先生に近づけるような気がする。自分に授業は120%無理だと思っているけれど、そこにちょっとだけ「可能性」を見出したくなるような予感を(まと)っていた。  筆記試験の結果が振るわなければ採用されないし、仮に筆記試験に通ったとしても面接で落とされそうな気がする。ただ、もしかしたら……があるような気がするから、ちゃんとやり切りたい。筆記試験は、過去の高校と大学の入試からそれぞれ出題されるらしい。国語・数学・英語から1教科ずつ選択できると言われ、迷わず国語を選択した。合格できる気がしないけれど、受けるからには少しでも点数が取れるものにしたい。応募したからには、失礼のないように満点を目指したい。近所の文房具屋さんへ行って、まずは高い履歴書を買おう。頑張るところが違う気がするけれど、そう心に決めていた。
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