Ⅵ スポットライト効果

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 車を少し走らせて、車内から夜景の見える駐車場へ移動してきた。さっきまでの貸し切り状態とはまた違った、2人だけの空気が流れていく。 「……車からでも綺麗だなぁ」 「…………うん」  フロントガラスというスクリーンで観る夜景は、2人きりの映画館にいるような感覚でもあった。周りに停まっている車も、きっと僕らと同じように夜景を見ながら車内で話している人たちだろう。少しだけ周りが気になってしまうけれど、自分が思っているほど他人は見ていないし、自分が気にするほど相手は気にしていない。「スポットライト効果」が示すように、注目されていると思ってしまっても、それは自意識過剰なだけというパターンが多いのかもしれない。  リズムが崩れたり、イレギュラーなことが起こったり……それが普通じゃなく映れば、周りから視線が向けられることもあるかもしれない。ただ、何となく流れていく時間を何事もなく流していけば、そこに溶け込んでいれば、きっと注目されることはない。あまり考えすぎず、ポップコーンをつまむような軽い気持ちで。 「…………あのさ」 「…………」 「……いつか言わなきゃって思ってたことあって」 「…………」  と言いつつ、ポップコーンどころではないような、そんな重い内容の映画が始まりそうだった。純くんの言葉を皮切りに、数秒でガラッと空気が変わった気がする。何となく身構えてしまうような、そんな重苦しさに溢れていると分かる。 「……寝言のこと覚えてる? 高校の時……エレベーターの」 「…………う、うん」  反射的に車を走らせたいような気持ちになったけれど、体はもう身動きが取れなくなっていた。シートベルトをつけたまま、ハンドルをぎゅっと握ったまま、純くんの話に耳を傾けていく。 「…………あれさ」 「…………」 「その……遥ちゃんは、寝言なんて言ってなくて」 「…………へっ」  エレベーターに閉じ込められたあの日、僕が心の中にしまい込んでいた「好き」という気持ち。それが寝言として本人に届けられてしまったと思い込んでいた。自分でも夢なのか現実なのか分からず、純くんの言葉を信じるしかない状況だった。ただ、聞き間違いでなければ、僕は寝言を言っていない……なんて言われても、すぐに状況を理解できるわけがない。(おぼろ)げになりそうな夜景に、思わずウォッシャー液をかけたくなる。そんな様子を察したかは分からないけれど、僕の「なぜ」「どうして」を包み込みながら、純くんは包み隠さず話を続けていった。 「……ずっと言えないまま来ちゃって」 「…………」 「…………本当にごめん」  柑橘の風を吹かせたあの瞬間……僕の表情を見て、少しずつ我に返ったという純くん。罪悪感に(さいな)まれ、しばらくは僕から離れる日々が続いた。でも、「このままではいけない」「謝らなければいけない」という思いに押しつぶされそうになり、再び僕のもとへ現れる。 「…………返信しなくてごめんとか、寝言だよねとか」 「…………」 「…………自分を守ることしか考えてなかった」  返信しなかったこと以上に謝らなければならないことがあったのに、それをまっすぐ伝えられない。しまいには、これ以上嫌われたくないという思いも相まって、「寝言だよね?」なんて大きな嘘までついてしまった。そんな自分を守りたかった自分のことを、純くんはありのままに伝えてくれた。そして、純くんが押せ押せになってしまった状況や、引くに引けなくなってしまった状況を、僕が作り出していたことにも気づかされていく。 「……一つだけ言い訳が許されるなら」 「…………うん」 「……レモンスカッシュが……その、ね」  初めて一緒に帰った高3の夏、レモンスカッシュをシェアしたあの日。その時の僕の反応が「もしかして」という思いを生み出すきっかけになったらしい。それが、エレベーターでの出来事と繋がってしまった部分もあると純くんは話してくれた。僕自身はうまく切り抜けられたと思っていたけれど、どうやら隠しきれていなかったようだ。人は見ているようで見ていない……いや、見ていないようで見ている。  ほかの人が気にかけない場面、何気なく通り過ぎていく場面でも、ちゃんと僕のことを見ていてくれるのが純くんだった。見られたくないところまで見られてしまうのは恥ずかしいけれど……それでも、僕のことを考えてくれているんだと分かって、嬉しさが込み上げてくる。純くんはやっぱり鈍感なんかじゃない。 「……寝言だけど、寝言じゃないって」 「…………」 「……遥ちゃんが、そう言ってくれてさ」 「…………うん」 「……でも、それは優しさなのかなって」  悪い言い方をすれば、僕は純くんの罠にかかってしまったのだろうか。寝言を聞かれたと思い込んだ僕は、そんな言葉を口にした記憶がある。夢の中で響かせた思い……それが現実のものなんだと自分なりに伝えた記憶があるけれど、その言葉は純くんにまっすぐ届いていなかったのかもしれない。 「……遥ちゃんはどこまでも優しいからさ」 「…………」  話を聞き進めていくなかで、何度も何度も登場する「優しさ」という言葉。「純くんが好き」という思いは、僕の気遣いによる「優しさ」と捉えられていたようだ。お互いの「好き」という気持ち……心のどこかでは共有できている気がしていたけれど、どこか中途半端だった気もする。それが、純くんの言葉によって確かなものとなっていく。思いが揺らぐような、迷いが生じるような、意味が分からなくなるような……そんなフワフワとした思いをお互いが抱えていたことに気づかされていく。  届かない思いを「優しさ」と表現するのなら、僕だって同じ。「遥ちゃんが好き」という思いを確かなものにできない限り、純くんの気遣いによる「優しさ」と捉えるしかない。お互いの「好き」という気持ちは、お互いの「優しさ」に覆いかぶさっていたのだろうか。「よく思われたい」「よく見せたい」とまではいかなくとも、「悪く思われたくない」「悪く見られたくない」という意識はあると思う。だから、誰に対しても優しく接してしまうのはきっと間違っていない。ただ、優しさと好意は違う。不器用だから伝わっていないかもしれないけれど、純くんに対する優しさは特別だということを分かってほしい。純くんの優しさだって、僕に対する特別なものなんだと信じたい。
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