Ⅵ スポットライト効果

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「…………もういいから」 「…………」 「…………本当にいいから」  少し歩いたところで純くんの動きが止まった。そして、僕を説得するように、振り払うように、さらに強い言葉が届けられる。   「…………嫌だ!」 「…………」 「…………一緒に帰る!」 「…………」  その強い言葉に負けないよう、必死に抵抗した。大学生だけど、子どもがワガママを言うような感じで。怒らせたわけではないと思うし、怒っているわけではないけれど……怒りを込めるような強い口調で、一生懸命抵抗した。 「……車は?」 「……あとで取りに来るからいい」  その勢いに押されるように、純くんを取り巻く空気が少しだけ変わったような気がする。心が少しだけこちらに傾いたような気がする。レッカーでもされない限り、車は逃げない。逃げていきそうな純くんを引き留めることが僕の使命。今は、それしか考えなくていい。 「…………もう俺のことは忘れてって」 「…………」 「…………そう言ったじゃん」  ただ、心の傾きを感じたのも束の間、純くんは僕から逃げるように再び歩き出す。僕の記憶から消し去ってほしいなんて、そんな無責任な言葉を残して。 「…………そ、そんなこと」 「…………」 「…………できるわけない」  純くんを追いかけ、純くんのお腹付近に手を回して必死に引き留める。怪我をした手に触れないよう細心の注意を払いつつも、ありったけの思いを力に変えてしがみつく。 「…………」 「…………」  抵抗しているような、していないような……そんな微妙な動きから、純くんは何となく「引くに引けない状況」に陥っているのだと分かった気がする。こんな思い切ったことをしたら、簡単に「はい、分かりました」とは言いづらいから、僕だって一度決めたことを貫こうとするはずだ。だから、それを上回るような言葉をかけなければならない。僕の熱量で純くんの心を鎮めなければならない。 「……や、優しさなんかじゃない」 「…………」 「…………じゅ、純くんが好き」 「…………」 「…………純くんだけが好き」  入院とか怪我とか……離れそうな心を繋ぎ止めるのは、高校も大学も同じようなきっかけだった。「純くんが好き」という言葉も、こんな状況にならなければ出せない言葉なのだろうか。そこに何とも言えない思いが込み上げてくるけれど、今はこれでいい。まっすぐ伝えたから、それでいい。 「…………で、でも、どうすればいいのか分からない」 「…………」  とは言え、「好き」という言葉だけじゃダメな気がしている。こんなにたくさんの悩みや苦しみを分かち合ったのに、その一言だけでは物足りないような気がしていた。いや、最終的には「好き」という言葉だけでいいし、それしかいらないとは思っているけれど……今の僕に求められていることは、きっとそこじゃない。  純くんは鈍感じゃないから、もう僕の「好き」に気づいているはずだ。本当は「優しさ」なんかじゃないって分かっているはずだ。仮に分からなかったとしても、ここまでの言葉とか行動とか、その熱を感じ取れば、きっと届いているはずだと信じたい。  「好き」だけでは乗り越えられないもの……僕たちは、そこに悩んだり苦しんだりしているんだと思う。お互いが「好き」を共有できていても、どうしても引っかかってしまうことがあるんだと思う。そんなことは関係ないし、好きだから一緒にいればいいと分かっているけれど、純くんの気持ちを知ったら「それでいいのだろうか」と踏みとどまってしまう。純くんの気持ちを知って、自分の思いと重ね合わせたときに「これでいいのだろうか」と考えてしまう。  そんな正直な思いを、ひたすら純くんに届けていった。「好き」という言葉が単なる優しさだと思われないように、純くんの言葉に合わせているだけだと思われないように。離れていきそうな言葉を並べるなかでも「離れたくない」という気持ちを前面に出しながら。ただ、答えはそう簡単に見つからないから、この熱を帯びたまま突き進むべきではないし、時間を置いて考えていきたい。今すぐに結論を出そうと思わせないように、核心に迫らないように……和らげるような、(ぼか)すような言葉を選んでいった。 「…………だから、今日は車で一緒に帰りたい」 「……………………うん」  この方法でよかったのかは分からない。分からないけれど、純くんは小さく(うなず)いて、来た道の方向へ静かに歩き出す。  こんな純くんを見るのは初めてだった。いつもは大人っぽい純くん、温かくて優しい純くん……それを僕が追い越していくような感覚が新鮮だった。今まで見たことがない純くんに触れて、心が絶えずザワザワしている。ただ、何と言えばいいだろう……絶対に見ることができないであろう姿に触れてしまったことに、謎の嬉しさがあった。2人の関係が“何か”を越えたような気がして、ちょっとだけ心が躍っていた。でも、純くんはそれどころじゃないから、ここは冷静に。  今日は本当に色んなことがありすぎた。この数時間に色んな出来事が集中し過ぎていた。一人でゆっくりと振り返りをしたい気分だったけれど、それは家に帰ってから。まだ、気を抜いてはいけないし、油断してはいけない。「テンション・リダクション効果」の例として挙げられるように、家に帰るまでが遠足なのだから。純くんを家に送り届けるまでは、自分の家に帰るまでは、心の寄り道をしないように。紅潮した身体に夜の色なき風を馴染ませながら、純くんの斜め後ろを付いていく。
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