Ⅶ ジョハリの窓

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Ⅶ ジョハリの窓

「今日はここまで。次回は2章の文献講読を………」  変わっているようで変わっていない。変わっていないようで変わっている。そんなフワフワとした日々を積み重ねていくなかで、気づけば大学生活も折り返し地点を過ぎていた。  純くんと色んなことがあったあの日………あれからもう1年近くの月日が経つだろうか。急な斜面を転がるように、季節は駆け足で通り過ぎていった。あの時感じた色なき風が、真っ白な景色へと染め上げていく。白銀の世界なんて表現とは程遠い、ただただ真っ白な大学2年の冬休み。何かを恐れるように、何かから逃げるように、冬期講習のシフトにたくさん入った。大学入試や高校入試のスパートに合わせるように、春休みもたくさんシフトに入ったし、先生として2度目の入試も迎えた。  入試や受験というものは、やはり何度経験しても慣れるものではない。自分が受験生の時よりも緊張してしまうし、落ち着かないし、胃が痛くなってしまう。誰かのために一生懸命になっている今……その熱量を受験生だった自分自身に向けることができていたら、何か変わっていたのだろうか。そう考えてしまうけれど、もう戻らないし戻せない。「あの時気づいていれば」なんて思うけれど、あの時には気づけないことも分かっている。  受験が終わり、それぞれが新たなスタートラインに立つ春……街がカラフルに染まるであろう季節になっても、僕の世界はモノクロのままだった。桜を楽しむ余裕もないまま、色のない世界に時間だけが乗せられていった。夏期講習も忙しかったはずだけど、忙しさで気を紛らわしていた気がする。夏の暑さすら忘れてしまうくらい……いや、冷房の効いた教室に入り浸っていたからかもしれないけれど、温度のない時間が通り過ぎていった。  気づけばもう、大学3年生の秋。残された時間が刻一刻と少なくなっていく。そこには、高校時代とは違った焦りが見え隠れしていた。 「…………琉河(りゅうが)はさ」 「…………」 「…………俺らが一緒の高校だって知ってたんだ」 「…………へっ」  歩いて帰ろうとした純くんを引き留め、車で送り届けたあの日。別れ際に純くんが残した言葉がずっと引っかかっていた。琉河は、僕らが同じ高校であることを知っている……それはどういうことなのだろうか。あの日、あの時、あの瞬間は、それがどういう意味なのか考える余裕なんてなかった。確かめる間もなく、純くんは逃げるように車を降りてしまった。  3人が初めて顔を合わせたのは、大学入試の中期日程。高校3年生の3月、旅行気分で首都圏の試験会場へ行ったあの日まで(さかのぼ)る。純くんとおにぎりを食べていた昼休みに、琉河が僕らを見つけて声をかけるという流れだった。  当時は何の疑問も抱いていなかった気がするけれど、今考えてみると、あまりにも出来すぎた展開のようにも思えてくる。僕らがどんな会話をしたか、その詳細までは覚えていない。ただ、何と言えばいいだろう……まるで同じ高校であることを知っていたかのように、導入がスムーズだったような気もしてきた。純くんの言葉に引っ張られているだけかもしれないけれど、何となくそんな気がする。  僕らが同じ高校だと知ったのは、どのタイミングなのだろうか。どういうきっかけで知ったのだろうか。それは分からないけれど、少なくとも3人が初めて顔を合わせる以前の話であることは分かる。純くんと琉河が何らかの形で情報を共有していたと分かる。ということは、あの時の2人は演技をしていたことになるのだろうか。なぜそこまでして、偶然出会った感じを装ったのだろうか。考えれば考えるほど分からないことが増えていく。 「おーい、遥斗」 「……!」  考えごとをしていた脳内に、いつもの声が響き渡った。3年生になって変わったこと……ゼミがある火曜日に、こうして奏冬(かなと)と顔を合わせるようになったことだろうか。お互いにその時間の講義がラストということもあり、エントランスで落ち合って、一緒にご飯を食べに行くという流れが定番化しつつあった。 「奏冬でいいよ」 「……う、うん」  僕らの関係性はあまり変わっていない気がするけれど、「青地くん」から「奏冬」呼びになったことは、僕にとって大きな変化かもしれない。本人の前で名前を呼ぶことなんてなかったけれど、3年生になって初めて一緒にご飯へ行った時に、話の流れで「青地くん」と口に出す機会があった。下の名前で呼ぶように提案……いや、僕にとっては下の名前で呼ぶことを許可してもらったような感じだった。  奏冬に彼女ができてからは、ご飯に誘われてもずっと断っていた。本当は行きたかったけれど、これ以上何かを知りたくないし、傷つきたくない。関われば関わるほど、きっと苦しくなってしまうだろうという思いから、何度も何度も断ってしまった。それでも奏冬が誘い続けてくれたからこそ、僕らの火曜日ルーティンが生まれることになる。僕が一方的に閉ざしてしまったシャッターに何度も足を運んでくれた奏冬と、そっとシャッターを開けてみた僕……そのタイミングが重なり合ったからこそ、今があるのかもしれない。 「あいつ、最後まで人の話聞かないからなぁ」  そんな純くんの言葉から、何かが動き出した。本人にそういう意識はないと思うけれど、奏冬の存在に助けられたことは間違いない。「早とちり」とは少し違うのかもしれないけれど、純くんに彼女ができたという奏冬の情報があったからこそ、ずっと止まったままだった純くんとの関係が少しずつ動いていった。奏冬が僕らの関係を動かしてくれた。純くんとの出来事を通じて、僕のなかで少しずつ心境が変化していったこと……それもまた、奏冬との今に繋がっている大きな要因なのかもしれない。  奏冬に対する「ありがとう」の気持ちを何らかの形で伝えたかった。そう思っているうちに、奏冬を大切にしたいという思いが強くなっていった。奏冬がやりたいこと、考えていること……そうしたものに寄り添いたいという思いが、僕らの火曜日ルーティンへ繋がっている。どう受け取ってもらえるかは分からないけれど、「楽しい」と思ってもらえるように今日も精一杯の気持ちを込めて。
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