Ⅶ ジョハリの窓

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「てか、今日は眼鏡なん?」 「あ、うん……その、ちょっと目の調子悪くて」  思ったことをまっすぐ響かせる奏冬だから、きっと眼鏡のことに触れてくるだろうと予想していた。目の調子が悪いのはその通りだったけれど、それと同時に眼鏡が楽だということに気づかされてしまったことも大きい。だから、コンタクトから眼鏡への本格デビューを画策すべく、切り替えのタイミングをうかがっていたような感じ。もちろん、誰かのためにかけているわけじゃないし、誰も見ていないけれど……周りがどう反応するのかちょっと気になっていたりもした。だから、奏冬がどんな反応をしてくれるか楽しみだったような気がする。 「何か、ドキッとするね」 「……へっ」  ただ、予想外の言葉が届けられ、一瞬にして時間が止まったような感覚に襲われてしまう。「似合ってるよ」とか「違和感あるよ」とか……そんなレベルを想定していただけに、思わずフリーズしてしまった。その言葉はどのように受け取ればいいのだろうか。分かりたいような、もう少し泳がせたいような、そんな気持ちに支配されていく。 「じゃ、いつもの飯屋集合で」 「……う、うん」  余韻に浸る間もなく、奏冬が口にした言葉はどこかへ消えてしまった。僕が考えすぎているだけかもしれないし、真に受けてしまっているだけかもしれない。奏冬の様子を見ても、性格を考えても、あまり深い意味はないと考えたほうがよさそうだ。 「…………純くんだけが好き」  あの日、そう伝えたけれど……「好き」って何だろうと考えることが多くなった。純くん“だけ”が好きという言葉は間違っていないと思うけれど、「好き」という言葉を限定するならば、奏冬に対する思いをどう表現すればいいのだろうか。2人とも、友達とは違う次元にいるような気がするけれど、その関係性につけられそうな名前が見つからなかった。純くんも好きだし、奏冬も好き……もっと言えば、琉河だって好き。みんな大切にしたいけれど、そうした思いは一括りにしていいのだろうか。あるいは同列と考えていいものだろうか。何となく違うような気がして、「好き」とか「大切にしたい」という思いの差を自分なりに解釈しようとしていた。「分かるようで分からない」を「分からないようで分かる」に変えていくために。  琉河が友達としての「好き」だとすれば、純くんに対する「好き」は一般的に「異性として好き」という恋愛感情のようなものだと思う。異性が同性に置き換わったようなものだと思っている。恥ずかしくて普段は隠そうと必死になっているけれど、純くんとはそうした関係を持ちたいと思ったことがあるし、行けるならばもっと先へ行きたいという願望もあった。純くんには言えない……というか絶対に言わないけれど、想像のなかで純くんに快楽を求めてしまったこともあった。琉河に対しては、そうした思いが芽生えることはないから、何となく2人に対する「好き」は違うと分かる。  奏冬は何と言えばいいだろう……すごく難しいけれど、強いて言うならば「アイドルを応援する感じ」と似ているのかもしれない。もちろん、アイドルとご飯に行けるなんて夢のような話だから、おかしいと言えばおかしい例えではある。ただ、届かないような“何か”があって、越えられない“何か”があって……憧れの気持ちから来る「好き」に近いのかなと思っていた。ついさっきまでは、そう解釈していたはずだった。  モヤモヤした思いを解消すべく、自分なりに答えを見つけたはずだったのに。「純くんだけが好き」という言葉を確かにするために、半ば強引に答えを導いたはずだったのに。それが、さっきの出来事で少しだけ見えなくなってしまった。何となく純くんの「好き」に近づきそうな予感を帯びていた。奏冬に対して、純くんのような思いを抱いたことがあるか……と聞かれると、ある程度否定はできるけれど、きっと完全に否定することはできない。もちろん具体的な行動まで到達したことはないけれど、「思い」としてどこかに隠れているような、そんな感覚があった。   人と人の関わりのなかにある「ライン」は、その線引きが難しい。自分の考えているラインを超えるような出来事があると、かつての僕ならば勘違いしそうになってしまったと思うし、淡い期待を抱いてしまったと思う。男同士のノリは、時にラインを失っているように見えるのかもしれないけれど……それを真に受けてしまう僕は、勢いのまま突っ走ってしまいそうで怖かった。今もそうした心の動きはあるけれど、どこかでブレーキをかけられるようになっているだろうか。  一方的な思いで相手を巻き込んではいけないし、一方的に相手の世界へ踏み込んではいけない。踏み込まなければ見えてこない世界があるけれど、踏み込んではいけない世界もある。双方向に同じ思いを共有できると分かるまでは、相手の世界に入り込んではいけない。そういうことを考えずに入り込めるとすれば、お互いが同じ思いを共有できる第三の世界。そこで初めてスタートラインに立てるものなんだと思う。  なんて言っているけれど、純くんの存在があるから、純くんと思いを共有できたから、そういった余裕のある発言ができているのかもしれない。フワフワとした純くんとの関係が続いていたら僕は…………僕は、もしかしたら奏冬に。
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