Ⅶ ジョハリの窓

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「俺、今日はマーボー麵にするわ」 「……う、うん」 「遥斗は?」 「じゃあ……同じにする」  あまり深い意味はない……とも言えないけれど、奏冬と同じメニューを選ぶことが多くなっていた。定期的にご飯へ行くようになり、奏冬は「ミックスフライ定食」一択ではなくなっていたし、僕もまた「ネギトロ丼」だけではなく、違うメニューを頼むようになっていた。 「そういえば、彼女と別れたんよ」 「……へっ」  サラッと飛び出した大きな話……奏冬はどこまでもサッパリしているように見えた。話を聞き進めていくと、どうやら別れたのはここ数日の話らしい。理由は深く分からないけれど、そもそも深い理由がない感じだろうか。特に大きな出来事があったわけではなく、自然にフェードアウトしていったような感じにも聞こえる。 「まぁ、これでよかったってことで」 「…………」  どこまでもサッパリしているように見えたけれど、少しずつ奏冬が落ち込んでいるようにも見えてきた。明確な根拠はないけれど、どこかに陰があるような感じ。いつもの明るい奏冬に見えるけれど、どこかに曇りがある感じ。僕の勝手な思い込みかもしれないけれど、少しだけそんな感じがした。  ふと、テレビで見たオーケストラのコンサートを思い出す。たしか、高校2年生の冬……演奏されていたのは、チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』という楽曲だった。悲愴というタイトルなのに、第3楽章が場違いなほど明るく賑やかで、すごく印象的だったことを覚えている。  当時はそこに悲しさや痛ましさなんてものは感じられなかったけれど、今はその解釈も少し変わっただろうか。明るいと思っていたものに「陰」が含まれているように感じたり、「寂しさ」や「切なさ」を感じたりといったことが多くなっていく。目の前にいる奏冬もまた、第3楽章のような明るいイメージに引っ張られているだけで、本当は『悲愴』というタイトルを抱えているのかもしれない。  もともと人に闇を持たせてしまうのが自分の悪い癖だったけれど、持たせようとしなくても、実は持っているのかもしれないと思うようになっていった。それは人に限らず、物事に対しても同じことが言えるのかもしれない。『悲愴』の第3楽章……それを、純くんと色んなことがあったあの日に当てはめてみても、自分なりの解釈が(はかど)るような気がしていた。空虚(くうきょ)な夜空のもとで、慌ただしく心が動いていく感じ。明るそうに見えたものは「悲愴」を表現するための波みたいなもので、終わってみれば中身のないお祭りだったような感じ。  場違いにも思える賑やかな第3楽章との対比によって、第4楽章の悲愴感がよりいっそう際立っていることを知る。そう考えると、今の僕と純くんは『悲愴』の第4楽章にいるのだろうか。あの日の出来事は、そのための第3楽章だったのだろうか。できればベートーヴェンの『第九』のように、第3楽章までをやんわりと否定するような、明るい第4楽章にしたかった。歓喜へ向かうような展開にしたかった。それは叶わないまま終わってしまうのだろうか。 「あいつ、最後まで人の話聞かないからなぁ」  奏冬に対する純くんの言葉……『悲愴』の第3楽章は、そこから演奏が始まったのかもしれない。その指揮をとっているのは誰なのだろうか。奏冬なのかもしれないし、他の人かもしれない。同じ曲でも指揮者によって印象がガラッと変わるように、純くんとの今後を、何となく誰かが鍵を握っているようにも思えてきた。
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