Ⅶ ジョハリの窓

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「おつかれさまでした」 「あっ、星越先生……来週の試験監督なんですけど」 「は、はい」  火曜日はゼミに出席して、奏冬とご飯を食べて、塾で授業をして、家に帰る……そんなパターンが出来上がりつつある。初めて眼鏡をかけて出勤してみたけれど、個人的には思ったより好感触だった。これからは眼鏡スタイルでもいいかもしれないなんて、そう強く思える一日だった。 「当日は市民ホールに7時30分集合で大丈夫ですので」 「はい、分かりました」  求められるうちが華と言えばいいだろうか。誰かに必要とされることは、プレッシャーも大きいけれど、やっぱり嬉しい。でも、一歩目を踏み出さなければ誰かと出会うことはないし、求められることもない。 「じゃあ、よろしくお願いします」 「お願いします。おつかれさまでした」  受け身の人間にとって、その一歩を踏み出すことは大きなエネルギーや勇気が必要だった。みんながみんな同じ考え方ではないし、性格だって違う……そう分かっているけれど、やっぱり傷つくことが怖い。別に傷つけられているわけではないけれど、人との関わりのなかでは、一人で勝手に傷ついてしまうことがある。人との関わりが「接触」ではなく「衝突」のような感覚に陥ると、頭が真っ白になってしまう。  ただ、人との関わりが恐怖心を生み出す一方で、そんな僕を突き動かす原動力になっているのもまた、人との関わりだった。心のどこかでは、少しでも衝突を減らすために頑張ってしまっている部分もあるのかもしれないけれど、誰かを喜ばせたいとか、驚かせたいとか……そうした思いが、相手のために頑張りたいという気持ちを引き出してくれるのも事実。決して恐怖心が消えるわけではないけれど、誰かのために一生懸命になれる瞬間は、ちょっとだけ自分が輝いているような気がしていた。 「一人でも生きていける」  そう思っていたし、今もそう思っているし、そう思いたい自分もいる。ただ、人を避けながら生きているように見えて、周りには「人」の存在があることに気づかされる。周りの人や、周りの人が生み出す物事に影響を受けながら、時に苦しんだり時にエネルギーを補給したりしている。  塾で働くようになってからは、楽しいことだけでなく、辛いことや苦しいことも多いけれど、「人」の生きている感じや血の通っている感じ……シャッターを閉ざしていた時には感じなかったものを近くで感じられるようになった。人を求めている自分がどこかにいるし、人との関わりのなかで自分の存在意義を確かめようとしている自分がいる。傷ついてもいいから、誰かのために。そして、自分のために。
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