Ⅶ ジョハリの窓

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「大学どう?」 「……うん、まぁ」  人の話を聞くのは好きだけど、自分の話はあまり膨らませることができない。そんな様子を察してかどうかは分からないけれど、琉河は自分の話をたくさんしてくれた。大学のこと、教育実習のこと、バイトのこと……いろんな話題に触れていくなかで、充実した大学生活を送っているんだなぁと感じてしまう。僕も大学生だけど、自分とは比べものにならないくらい充実しているように聞こえてしまう。 「おっ、来た」 「…………!」 「遥斗も来たよ」  琉河の声が向かう先へゆっくり視線を移すと、黒いワイシャツに腰巻きエプロンを身につけた純くんが立っていた。当たり前だけど、完全に居酒屋の店員さんになっていた。一瞬にして時間が止まっているような、空間がスローモーションになっているような感覚に襲われる。呼吸の仕方を忘れたかのように、とにかく息が苦しい。 「…………」 「…………」  何だろう、この何とも言えない沈黙。お互いが目も合わせず、軽く会釈するような様子を、琉河が見ている感じ。さっきの合言葉が嘘のように、余所余所(よそよそ)しい雰囲気に溢れていた。変な空気に耐えられず、慌ててハイボールを流し込む。 「早く上がれそう?」 「……う~ん、まだ分からない」 「ちなみに個室いける?」  純くんはどう思っているか分からないけれど、僕に関しては、決して「気まずいから」という理由で沈黙したわけではない。制服を着用した純くんにドキドキしてしまい、思わず見とれてしまっただけ。  思えば、初めて純くんの私服を見た時もそうだった。高鳴る鼓動を抑えられなかった高校3年生の夏。今では私服が当たり前だけど、あの時は制服ではない姿がすごく新鮮だったし、輝いて見えた。ところで、僕のスーツ姿は純くんの目にどう映っただろうか。そう考えてしまったけれど、大学の入学式もスーツだったから、あまり新鮮味がないことに気づいてしまう。いや、せめて眼鏡姿に何かを感じてほしい。 「移動するよ、遥斗」 「…………へっ」  色んなことを考えているうちに、2人の間で話が進んでいたようだ。琉河の真似をするように、氷だけが入ったハイボールのグラスを手に持って、純くんの後をついていく。どうやら、カウンター席から個室へ移動するらしい。 「……じゃあ、ゆっくりしてって」 「おう!」  個室への案内を終えると、純くんは忙しそうにその場から離れていった。本当に忙しいんだと思うけれど、何となく僕から逃げているようにも見えてしまう。でも、今の僕らにはそれくらいがちょうどいい。今日は琉河が主役だからそれでいい。 「個室のほうがいいっしょ?」 「……へっ」 「カウンター、落ち着かない感じだったから」  僕のために、わざわざ個室へ移動してくれた感じなのだろうか。琉河って気遣いをあからさまに見せるようなタイプではない気がするから、こうして言葉に出してくれるのはちょっと意外だった。落ち着く雰囲気のお店であることは間違いないけれど、目の前に店員さんがいるカウンター席は、やっぱりソワソワしてしまう。そんな空気を出したつもりはないけれど、気づいてくれたことがちょっとだけ嬉しいし、とにかく申し訳ない気持ちが強かった。 「何か、食べるもの注文すっぺし」 「……う、うん」  都会に染まったように見えるけれど、話し方はあまり変わっていない。個室の安心感に、カウンター席では感じなかった方言の安心感が覆い被さってくる。小学校の頃を思い出すような、そんな懐かしい空気が個室を流れていく。 「純也がさ、海鮮系のメニューは少ないって」 「…………」 「でもほら、カルパッチョとかあるからって言ってた」  海鮮が食べたいと言ったわけではないけれど、注文用のタブレットをスワイプさせながらカルパッチョのページを示してくれた。「一番好きな食べ物は?」と聞かれたら、お寿司と答えるくらいに海鮮は好きだけど……他のものが食べられないわけではないし、そこまで執着があるわけでもない。僕=海鮮好きという話は純くんから聞いたようだけど、どこかでそんな話をしただろうか。 「真鯛のカルパッチョにする?」 「……う、うん。琉河の食べたいのも頼んで」 「俺は、これにすっかな」  琉河は僕に気を使っているのだろうか。いや、それは考えすぎだろうか。アサリがふんだんに使われた「ボンゴレビアンコ」を指さしているのを見て、何となく海鮮系に合わせてくれているような気がしてしまった。
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