0人が本棚に入れています
本棚に追加
「不束者ですが……どうぞよろしくお願いしますね。湊くん」
「あはは。よろしくね、藤川さ――あっ」
「……?」
「もうひとつ……いいかな?」
「はい?」
「ずっと下の名前で呼んでみたかったんだよね。良い名前だな、って思ってて」
はからずも目を見開いてしまいます。
私の下の名を知っていてくれたことも、それを『良い名前』と言ってくれたことも、もちろん嬉しかったです。それ以上に、願ってもない申し出だと思いました。彼も同じ気持ちを抱いてくれていたことを嬉しく思いました。
喜びを露わにする犬の尻尾のようにブンブンと首を縦に振りかけますが、かろうじて思いとどまり、ゆーっくりと頷いてみせます。
しばし躊躇いがちに、相手の様子を伺います。そしてどちらともなく、深呼吸を一つ。
しかと見つめ合いながら、先に湊くんが口を開きました。
「ゆ……、ゆか、り……さん」
それを受けて、私も。
「……かずや、くん」
――何度、妄想したことでしょう。この瞬間を。
事実は小説よりも奇なり、とはよく言った物です。
たった一言、ただ相手を下の名前で呼んだだけ。それだけなのに――私の心は、初めての想いでいっぱいになっています。
どこか寂しく燻っていた恋心が満たされ、幸せに満ち溢れていました。
目を軽く閉じ、今一度胸に手を当てます。感じる鼓動はどこまでも心地よく、手にした栞の感触が、何とも形容しがたい充足感をくれます。
最初のコメントを投稿しよう!