第二章 末広がり

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「まあ見てろ」  全休はそう言うと、にわかに歌い始めた。 (唄)傘を差すなる春日山 傘を差すなる春日山 これも神の誓いとて……  瑞円は唖然とした。おっさん、気でも触れたか。  すると塀の向こうから、わっはっは、と男の笑い声がした。さらにこちらに近付いて来る。  そして裏口の戸が開くと、小紋の袷を着た五十過ぎの男が出て来た。立派な身形からして大桑屋作右衛門であろう。白髪交じりの本田髷で、顔をくしゃくしゃにして笑っている。 いったい何が可笑しいのか。さてはこいつも気が触れたか。 「わっはっは。楽しい唄ずら」  全休は同じ節で唄い続ける。 (唄)ときにお尋ねいたします 江戸吉原の花魁で 喜び多き 喜多川の 身請けをなさった御仁とは あなた様ではござりませぬか 「わっはっは。いいや、わしでは無い。わしはさるお方に頼まれて、表向き、わしが身請けした事にしただよ」 「何、何、この唄、何の術。えっ、答えるの」  瑞円は狂言でも見ている様な気がした。そうだ、この唄、思い出した。狂言の『末広がり』じゃないか。 (唄)そのお方とはどちら様 どうぞ教えて下さんせ     
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