第二章 末広がり

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「わっはっは。ここだけの話だが、そのさるお方とは、遠州掛川、太田様の御家老、中田伊織様ずらよ」 「何!中田様だと」  全休は驚いたのか大声を上げた。  全休の唄が止むと、作右衛門の笑いも止んだ。くしゃくしゃだった笑顔がにわかに厳めしいしかめっ面に変わった。 「やや、これはどうした事だ。妙な唄に誘われて、余計な事を言ってしまったずら」  作右衛門は自分に怒っているのか、そう吐き捨てるようにつぶやくと、開け放したままの戸から屋敷の中へ入ってしまった。  全休は、 「お待ちを」  と言ったが、思い直したのかまた唄い出した。 (唄)人が傘を差すなら 我も傘を差そうよ……  すると、また作右衛門の笑い声がして戻って来た。厳めしかった顔が再びくしゃくしゃな笑顔に変わっている。 (唄)江戸より落籍(ひか)れて喜多川の 大橋架かる掛川の 中田様のお屋敷に おわしてござるか 「わっはっは。そこまでは知らないずらよ」  全休は、もう聞き終えたと見たのか、再び唄うのを止めた。  作右衛門の顔がまた元の厳めしい顔になる。 「ええい、忌々しい。懈怠な真似をしおって」  そう怒鳴ると、作右衛門は裏口から屋敷へ入ってしまった。  瑞円は夢でも見ていたかのような心地でその後ろ姿を見送る。 「やるじゃねえか、太郎冠者(召使い一号)」     
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