第一章 道成寺

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「いいや、何にも聞こえねえ。女の声なんて、気味が悪い。こりゃきっと濡れ女だ。なあ、逃げようぜ」 「まあ待て。逃げたって追われる。まずは姿を確かめよう。この杖はな、仕込み杖だ。二尺五寸(七十五センチメートル。打ち刀の標準寸法)はある。濡れ女ならば格別。斬って捨てる」  全休は小声でそう答えると、右手の杖を左手に持ち替え、右手で柄を握った。 「腕に覚えがあるのかい」 「ああ。こう見えても元は遠州掛川五万石、太田備中守様の御家中だ。剣の手並みも冨田(とだ)流免許皆伝。妖怪ごときに後れは取らぬ」  ドドドドド、と再び松林の中で地響きがすると、その中の草むらから何かがせり上がって来た。薄暗くてその姿はよく見えない。タン、タン、と生木が割れるような大きな音が、芝居の付け打ちのように響く。  全休は息を飲んだ。仕込み杖の鯉口を切る。  せり上がって来たのは女だった。先ほどの声の主であろう。そいつは片膝を付いて屈んでおり下を向いている。なので顔は見えないが頭は丸髷を結っている。着物は地味な縞の小袖。背は低いが幅があり、肩の辺りは丸い。  つまり太っている。
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