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女は上がり切るとおもむろに顔を上げた。
ぎょろっとした大きな目に細長い鼻。色白だが丸くて大きな顔。その頬と顎の肉は垂れている。そのせいか清国人の髭のように下へ延びる豊麗線が、墨で書いたようにくっきりとしている。年の頃は四十半ばか。
「おやぎではないか」
全休が叫んだ。そして切った鯉口をキンと音を立てて元に戻すと、風呂敷包と笠を取り逃げ出した。
「おい、待ってくれ。斬るんじゃねえのか。冨田流はどうした。おやぎって何だ」
瑞円の追う声が後ろから聞こえても、振り向きもせず走った。
一町(百メートル)ほど走ると、小高い丘の上に築地塀が見えた。寺であろう。
瑞円が追い付く。
「なあ、親爺さん。あの寺に逃げ込もう」
丘の麓をぐるりと回って半町ほど走ると石段があった。それを二人して駆け登る。
登り切って振り返り、息を切らしながら階下を臨む。誰もいない。
「坊主が女に追われるなんて、まるで道成寺だな。ははは」
「うるさい」
「まあ、そうお怒りなさるな。それよりあの清姫は何なんだい、安珍さん」
「止めぬか。そんな色男ではないわい」
全休は懐から手拭を出すと顔や頭の汗を拭いた。そして石段の上に座った。
瑞円も座る。
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