告解

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 ご承知のとおり、当初私は、絶対無罪を主張してきました。老若男女問わず、13名もの方々を凌辱してから嬲り殺しにして、その後死体をばらばらにして焼いたり埋めたりした悍ましい行為、あれをやったのは私じゃないと。私の心に住み着いてるもう一人の私の仕業だと。実際、一つ一つの犯行の場面では、もう一人の自分がいたと言えるかもしれません。凌辱、殺害、死体の解体、焼却、それぞれの「行程」を行っている最中は、極めて冷静沈着に事を運んでいましたからね。一方で、各々の場面が終わると、自分のやったことが急に恐ろしくなり、女々しく泣いたりしてました。それでも、一通りの始末が終わると、犯行はきちんと隠蔽し、結局自首もしないで普通の市民としての生活に戻る、それの繰り返しでした。  でも、そんな話はいくらでも有りますし、この程度の話では明確な多重人格とまでは言えないですよね。実際、精神鑑定の結果も、複数の医者が各々異なる見解を出したくらいですから。弁護士としても、多重人格障害による責任能力の欠如ぐらいの抗弁しか出来ないだろうと、要はダメもと程度に考えていたわけです。それでも私は、とにかく少しでも無罪になる可能性が有れば、なりふり構わずそれにしがみつこうとしていたんです。  先生と出会ったのも、丁度この頃でしたね。控訴審が始まって、私も真っ向から無罪を主張していた頃です。正直言いまして、自分が死刑を免れないことは、頭では解ってました。それでも、必死に生きることに執着していたんです。     
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