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シャツの乱れを直す衣擦れと、ベルトを締める金属音、そしてスーツに袖を通す気配を聞きながら、ぼんやりと天窓の雪景色に引き込まれていく。
さらりさらりと雪が降る。
汗ばんだ胸元にしんしんと降り積もってくるような錯覚を覚え、うっとりと目を閉じた。
「・・・雪が降りだしたから」
眠りに身をゆだねたい心地だが、かろうじて言葉を唇に載せる。
「足もと、気をつけて、佐川さん」
突然ふわりと毛布に包まれる。
目を開くと、きっちりネクタイをしめて一糸乱れぬスーツ姿の佐川がいた。
「憲二様も、お気を付けて」
大きな手で髪をゆっくり撫でられて眼を細めた。
終わった時に触られるのは好きでないが、これは、嫌いじゃない。
「・・・うん。ありがとう」
生真面目な男は黙礼して、部屋を出て行った。
さあっと滑り込んだ冬の空気が、頬を掠める。
「潮時かな・・・」
彼の持ち物と、行為の激しさを気に入っていたけれど、そろそろ引き返す頃合いだろう。
レンアイを、する気はさらさらない。
彼は、あの男になり得ないのだから。
綺麗に畳まれてサイドチェストに載せられていた服を身につけていたら、ためらいがちなノックが聞こえた。
知らず、頬に笑みが浮かぶ。
「入って良いよ、勝己」
セーターの裾を引き下ろしたところで、黒い小さな頭が扉からひょっこり覗いた。
「お茶、入れたけど、飲む?」
弟は、タイミングを計るのが上手い。
丁度喉の渇きを覚えたところだった。
「飲む飲む。俺、ロシアンにしたい」
「うん」
既に見当を付けていたらしく、ティーセットの傍らにジャムの瓶が用意されていた。
ガラスのマグカップがニルギリの深い色に満たされていく。
そこに、たっぷりの苺ジャムをすくい入れてゆっくりかき混ぜた。
甘酸っぱい蒸気が立ち上る。
「おいしい」
受け取ったマグに軽く唇をつけ、香りと味を舌に乗せた。
「俊一お兄さまたちは、もう出発した?」
含みのある物言いにもたじろぐこともなく、こっくりと素直に肯いた。
「うん。母屋は、静かだよ」
そもそも両親と姉はここのところずっと東京の邸宅住まいだ。
たまたま地元との調整のために兄と複数の秘書たちが昨日から帰ってきていたが、用が済んだらしく正午前に出発すると聞いていた。
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