海の欠片

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海の欠片

自分の思うように描けない。 投げ出すようにペインティングナイフを置いて外に出た。目の前に広がる海は群青色に波立っている。 ゆらゆらと波打ち際を歩いていたところ、目立つ青色が視界に入った。 その場でしゃがんで拾ってみる。 「おお」 青い無光沢。500円玉サイズのそれは、太陽に翳すと儚く柔らかい光を通した。なかなか綺麗だ。すべすべとしていて肌触りも良い。気に入って暫く日に当てて眺めていると、後ろから声がした。 「綺麗ですね。あなたも集めてるんですか?」 シーグラス、と男は言った。 「いえ、シーグラスと言うんですね。これ」 目の前の男はこれの蒐集家らしい。彼が片手に持った袋の中には、この海岸で拾ったであろうものがたんまりと透けて見える。 「集めたものは何かに使うのですか?」 「いえ、飾って眺めます」 「眺めるのですね」 変わった人だ。 「青色や水色、茶色に、緑色。ほら、他にも色々あるんです」 彼は自分の蒐集品を嬉しそうに取り出して見せてくれた。オレンジや赤、紫に灰色。 「元々はボトルやグラスだったのでしょう。これらが一体何の成れの果てなのかを考えてしまいます。この中にはきっと海の向こう側、遠い外国から来たものもあるはずです。落とせばすぐに割れてしまうようなガラスが、波に揉まれて細かい砂に磨かれて、長い距離と時間を掛けて丸みを帯びて――やっとこの海岸までたどり着いた」 そんなシーグラスの旅路を想像して、心を踊らせてしまうのです――と男は語った。 「今日はまだ集めます。それでは」 男は顔を地面に向けながら、ふらふらと行ってしまった。 僕は男の真似をして、手の中のシーグラスについて妄想してみた。 このシーグラスは特別なのだ。元々は透明で、触ると指を切ってしまうような鋭いガラス片だったが、青い海を彷徨ううちに削られ丸くなって、海水が体内に浸透してきて、とうとう同化してしまったのだ。だから海の青色をしている。でも、海と同化して、自分の形が分からなくなるような気がして、海に囚われるのが怖くて――必死に波打ち際まで逃げてきたのだ。 これがこの青色シーグラスの経緯である。 しかし、シーグラスはもう乾いて、海よりも明るい青色になっていた。 おまえはもう海とは違うんだよ。 もう囚われる事などない。 なんとなく、自分自身に言い聞かせるようにして、僕は自分のアトリエに戻った。
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