ひとつまえの自分

5/15

290人が本棚に入れています
本棚に追加
/80ページ
ミネラルウォーターのボトルを手に折り返してきて二人分ほどの間隔をあけ横に座った。細い指でプラスチックのボトルをぎゅうぎゅう握り、ごくごく派手に喉を鳴らす。キャップを閉めて口元を拭いながら、じっと夜を見つめる瞳には猛禽類の鋭さが宿っていた。涼しい風が吹いてきて、木立の騒めく音に合わせ長めの前髪が揺れている。南は立ち去るタイミングを逃してしまったと後悔した。 「ちょっと見てて」 「・・・?」 ほとんど空になったボトルを足元に置いた女がぴっと背筋を伸ばし足を肩幅に開く。グーに握った両手を前に突き出して見えないハンドルを握るポーズをとった。いったい何がはじまるのか・・・ 女が眉間にしわを寄せた厳しい面持ちで、まっすぐに前を見すえながら口を開く。 「いーい? 高速みたいな緩いコーナーも峠のヘアピンも、基本的にカーブは全部ハンドルじゃなくて体重移動で曲がるの。大事なのは曲がりに入る前の直線で減速させてもシフトチェンジはしない、クラッチも落とさないこと。なんでかっていうとバイクを旋回させるには駆動が必要だから。ハンドルで曲がろうとしなくてもバイクは視線と胸の向いてる方に自然と傾くからラインの先をしっかり見ながらアクセルを開く。ただし、アクセルを開けすぎると車体が元に戻ろうと起き上がってきちゃうから、そこは負けないようにしっかり内腿でタンクをホールドしてキープすること」 こんな風に、こんな風に、とからだを左右に傾けながら講釈した。 「はは」 「ちょっとなに笑ってんの!? 下手くそのままじゃかわいそうだと思って教えてあげてるのに!」 キっと凄むとバレットを指さして「はっきり言わせて貰うけど、あの子の性能に君の運転技術が追い付いてない。もったいないよ」と言った。 正直、抜かされたくせに何でそんなに上から?とむっとした。でも、真剣なエアバイクが恥を捨てて芸に扮する芸人みたいで面白かったからむかつく気持ちは打ち消され、プラマイゼロよりもやや好感の方にメモリは傾いた。
/80ページ

最初のコメントを投稿しよう!

290人が本棚に入れています
本棚に追加