第1話

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▽ その黒い怪物(キャンサー)は、笑っていた。 ──弱い。 人間の弱さに笑いがこらえきれなかった。 ──余りに、つまらん。 キャンサーとは、〈言葉の癌〉である。 本来、人の言葉に乗って相手の心へ届くはずの言霊。 それが時より何の原因か、正常に届かない場合がある。 そうして生まれた異常な言霊が、この言語世界に集まり、命を持ったもの。自分を歪めた人間をただ憎む存在。それがキャンサーなのだ。 キャンサーは、集合した言霊の量によってレベルが変わる。 笑うキャンサーはレベル2。人の形を成し、まだ不定形のレベル1のキャンサーを従えられるようになった所だった。 胸の底から湧き上がる憎悪に身を任せ、二つの世界をつなぐゲートへと進軍する。 何の障害もなく進んでいたキャンサーの笑みが、わずかに曇った。 眼前に立つ、一人の少年。 青いスーツケースを持った彼は、冷たく鋭い目で見ていた。 進軍を止めたキャンサーの前で、彼はスーツケースを高く頭上に投げ上げる。 「唱装(キャスト)・刀道スズリ」 そして静かに、そう言った。 刹那、宙を舞っていたスーツケースが分離(パージ)。幾つものパーツに分かれたそれは、頭・肩・胸・腕・腰・脚と、スズリに装着されていく。 キャスターがキャンサーと戦うために作られた戦闘服。身体能力を強化し、衝撃を吸収する。車に轢かれようが無傷のそれを、しかしキャンサーは鼻で笑った。 ──所詮、玩具。 キャンサーに通常兵器は効かない。言霊によって形成されている身体は、ただ力が強いだけでは傷つかない。 核爆弾では言論は止められないように、言霊でできた身体を傷つけることができるのは言霊の力だけ。 『愚か』 キャンサーは口を開く。 『貴様、ワタシ、殺せない。だが、一人、ワタシに、立ち塞がる、讃える。せめて、楽に、死ね』 腕を振り上げると、その腕が膨張。ボコボコと音を立てながら変形し、巨大な鉤爪となった。 これを振り下ろせば、この人間は即死だろう。 言い表せぬ優越感が湧き上がった。 だが。 「......言いたいことはそれだけか、不良品(できそこない)」 その一言は、キャンサーの笑みを完全に消し去った。 「き、さまぁっ!!」 何故こんなに冷静さを欠いたのかわからない。 ただ、「不良品(できそこない)」という言葉はキャンサーの胸に深く刺さった。
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