予定のない休日の過ごし方について

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予定のない休日の過ごし方について

 首筋を伝う汗の心地の悪さにようやく体を起こし、私は空調のスイッチを入れた。部屋には、街中を反射した光がし込んでいた。このガラスの街は光の庭で、昇る太陽が放つ気さくな犬は誰の部屋にも平気で入り込んでくる。そして昨晩、寝る前にカーテンを閉め忘れたという罪のために、心地よい夏の朝の太陽は部屋を焼く業火となっていた。  全身にはぐっしょりと汗をかいていた。外ではかもめが飛び交い、海を隔てて向かい側のマーケットの客が食べる名物のドーナツを高い空から狙っていた。「凶暴なかもめに注意」という注意書きもむなしく、毎日何人かはドーナツを奪われる。そして、その被害者の多くは子供だった。  典型的な週末の緩んだ空気だ。何もかもがいつもよりも遅かった。いつもよりも遅い起床。いつもよりも遅い朝食……。こんなだらしない生活をおくることにかつては抵抗があったはずだ。  学生の頃、カフェで働いていたことがある。ビジネス街にある店で、平日の朝には長い列ができることが常だった。でも、週末の朝には決まって客は来なかった。客どころか通りを歩く人もいなかった。店の外に出れば海鳴りが聞こえた。そんな日には、週末いつも一緒に働く同僚と「世界の終わりだ」とか「ゴーストタウンへようこそ」などと話していた。  長い間、あの長い列を作る人たちは週末に一体何をしているのだろうかと思っていた。今ならわかる、ジントニックの泡となり、金曜のネオンに消える。木々の間を抜け、ビーチをさまよい、わけのわからないままベッドに入る。そして、夏の暑さと喉の渇きで目をさますのだ。  気がつけば幽霊になっていた。私はこめかみをおさえた。酔いはさめてていた。ただ、自分が誰にも守られていないような感覚がした。あの頃。ちょうど土曜の今頃の時間に働いていた時にはこんな風に感じたことはなかった。    この街の習慣に戸惑うことはあった。金もなかった。でも、だからこそ前を向いている必要があった。いまの私は何か間違っているのだろうか。  土曜の朝から働けば、この匿名の批判から逃れることができるだろうか。朝食のフルーツを食べながら、その最良の方法について考えた。だが何も見つからなかった。そもそもそんなものがあるはずがないのだ。わかっているのは、私がもう「世界の終わり」の住人ではないことだった。
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