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蒼頡が言われたとおり、文字は確かに我々の世界から悪魔の概念を消し去った。
おかげでこの何千年来、我々の横にはいつも悪魔の実体のみが居座っている。
およそ発明と言われるものには、我々の生活を便利にする裏で、我々により困難な課題を突き付けるという二面性がある。現代人にとって最も恐るべき課題は核兵器であるか。だがそんな大げさな話を持ち出さなくても、例えば鉄道は生活圏を拡大し経済を成長させた一方で、家族を引き裂く役目を果たした。電気は人々から眠りを奪った。
文字についても発明である以上例外ではない。文明の発展に文字が果たした功績は計り知れず、日本における明治と昭和の二度の成長は識字率の高さが支えたと言っていいが、他方で文字の普及は無数の三流発言者を生んだ。現代のインターネットにあふれる誹謗中傷罵詈雑言はすべてその弊害の極端な例である。義務教育をやめること、文字を与える人間を選別することによってこれらは激減する。
子供をだますのは簡単だと考えている者たちはネット利用のマナーを教育することで改善できると考えているようであるが、多くの国が核どころか火薬や刃物も正しく使えない中で国民にそれを求めるというのは無理な話だろう。
が、弊害は正しく利用できた者にも配分されなければならない。彼らは文字を目的どおりに利用し論理的に考え、非論理的なものを次々と明かしていき、非論理的概念は棚上げにして研究を続ける方法を編み出した。天動説を否定し医術から祈祷を排除することで人類の技術は飛躍的に発展したと言っていい。しかしそのことをもって、悪魔の存在が否定されたと決めるわけにはいかない。概念が忘れられたことと存在しないこととは異なるからである。そういう常識を失わせることこそ悪魔の求めていたことだとすれば、かえって彼らの仕事が容易になったと考えても誤りではあるまい。概念のない、認識しようのない実体のみの悪魔とは、悪戯をはたらく透明人間の厄介さに無限の悪意を与えたような存在であるか。人に恐怖政治やホロコーストや文化大革命を、純粋な善意から行わせようとする。悪魔にそんな桁外れな仕事を可能にさせたのもまた文字ではあるまいか。
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