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手の届かないほど広い水の中に住んでいた生き物は、今は晴れた日の空に時々たゆたう。『くじら』という名前の生き物らしい。随分と昔に、最後のひとつが死んでしまった。 僕らの世代では、実物を見たことがある人はいなかった。親やさらに年長者でも、実際にその生き物を見たことがある人の噂は聞いた試しがない。せいぜい、世の中に溢れる『くじら』の資料が、正しいものか間違っているか区別がつく有識者が、いるかいないかというところだ。 水族館で見る一番大きな生き物よりも、大きかったことは本当なのだそうだ。分厚いガラスに手を当てて、ぞっとする。僕一人の体を押し潰して失くしてしまうほどの質量の水と、僕には到底できないよう自由自在に泳ぎ回る魚たち。綺麗に整えられた岩陰から、ぬっと出てきたサメは、ガラス越しに感じる冷たい水よりもさらに冷たい目でこちらを見ている。ガラスが無ければ簡単に殺される。しかしそんな、理解不能で凶悪な生き物が落とすこの影よりもずっとずっと大きかったというのだ。 嘘にしか聞こえないが、真相も分からない。 いま『くじら』はどこに行っても見られないが、『くじら』のようなものなら空に見える時がある。それは巨大な雲だ。雲が水蒸気の塊だということは知っている。風に流されて様々な形になるだけのものだ。それが時々、『くじら』のような形になるというのだ。 我々は誰も見たことがないから、あれは『くじら』らしいなんて思うはずがないのに、時々何かが閃いて、あれは『くじら』だと思う人がいるらしい。物珍しさに、写真を撮る。“くじらを見た”というコメントが付いた記事を、時々、ネットの世界で見かける。ごった返す情報の中で何度も見た雲の写真で、僕ら若い世代も、真相は定かではないが『くじら』の形を知った。集団妄想かもしれなかったが、本当がわからない限りなんでもよかった。 ただ、その『くじら』と目を合わせたらまずかった。あの雲を見たものは、その発言を最後に命を落とすという噂だ。水蒸気の塊だから、目なんて無いのは火を見るよりも明らかなのだが、なにより故人たちが目が合ったと必ず表現していた。 だから、真夏の雨上がりの、鮮やかな青の背景に雲がくっきり形作る日なんかは、決して空を見上げなかった。ただでさえ、太陽を直に見たら目が焼けてしまうのでダメだった。みんな示し合わせて、教室のカーテンも閉めていた。
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