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輪郭でさえ曖昧なのに、どんな目をしているというのか。これも故人の言葉を借りれば、限りない奥行きがある白がくすんだ瞳らしい。老人のように皺々で、巨躯に対して極めて小さいが、どこに瞳があるのか一瞬にして惹きつけられてしまう。見たくないのに見てしまう、それと同時にこちらも心の臓まで見透かされてしまう。底のない穴のような、もしくは錯覚のような白く濁った暗闇の中に自分の姿が見えるのだと。
その瞬間から、自分の体がこれまでのように支配できなくなるのだという。完全に感覚を手放してしまう時に、死ぬのだという。
時々、怖いもの見たさで海に行った。物心がついてから、社会史の教科書で、昔の海の写真を見たときは驚いた。透明な緑のような青をしていて、深いところは澄んだ紺色をしていた。人間がそこに裸足になって入っていた。わざわざ靴を脱いで、目の前に広がる鉛色の巨大な水溜りになんて、頼まれても入らない。波が砂を巻き込みながら押し寄せては、ヘドロを残して返っていく。時間をかけて溶ける貝殻が鋭利な切っ先を空に向けている。
砂浜には自分の背丈ほどはあるたくさんの生き物の骨が聳えていた。もしかしたらこの中にも『くじら』があるのかもしれない。この曲線と曲線の中に内臓があって、外には筋肉や皮があって。円形が連なった骨格の中に入って科学者ごっこをしても、それらしい閃きは得られない。風が吹くと酷い臭いがして、いつもすぐに立ち去った。
綺麗な青い海の中には、水族館のような風景が実際に広がっていた場所もあるらしい。魚や貝は食卓によく出て来たらしい。昔の人たちは一日に三回も食事をしていた。海の青さだけはみんな知っていて、当時は簡単に確認することができたから明確な歴史として残っているが、『くじら』の姿を実際に見たことのある人は少ない、だからちゃんとした情報が残っていない。単純にそんな話らしい。
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