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生き物は自分よりも大きかったり、違う場所に住んでいたり、理解できない言葉を使っていたりと、かけ離れた存在であればあるほど、未知で不思議に見えてしまう。ましてやそれが、飼い慣らすことが出来ないものであれば、神格化してしまう。我々は傲慢だからだ。
その生き物もそうなのだろう。だって、雲に例えられるくらいなのだからものすごく大きくて、実在したとして一目では捉えられなかったことだろう。閉じ込める水槽もなかったのだろう。この星に生きているもののうち一番大きかったらしい。
海が透明でなくなったから見えにくくなっただけで、どこかにしれっと居るかもしれないし、昨今の研究の通り絶滅しているのかもしれない。さも死を司るように持て囃されているのも、そうした方が面白いからで、ネットは嘘で溢れかえっていて、もはやどれだけ人の興味を引く話を作り出すかどうかだ。死んだふりをするには、更新しなければいいのだ。
夏休みは暇だ。つまらないことをあれこれと考えてしまうし、カーテンは一応閉めっぱなしだ。何度目の夏休みだろう。学生として生きている自分には何度も夏休みが来るし、社会人として生きている人たちは外でざわついている。僕は生まれた時からずっと学生で、身体中の部品にガタが来て壊れるまで学生だ。こうして無駄なことを考え続けるプログラムだ。『くじら』を観測していた人間が生きていた時代の彼らによく似ているが、僕たちは彼らに作られた。自分には命があると認識してはいるが、実際にどういうものなのかはよく分からない。
皮膚は擦りむいたら接着剤で修理するものではなく、赤い液体が出るものらしい。
命とはガシャンと壊れるものではなく、ふっと消えてしまうものらしい。
例えば、仮に本当に、誰かの命をどうこうする力のある生き物なのだとしたら、絶滅させられたのではないだろうか。資料が遺されなかったのも、都合が悪かったから。
我々の産みの親は永遠の命を望んだ、故に我々がいま永遠に変わらない都市を営んでいる。毎日みんなが同じことをして、安定して廻り続けるだけの世界だ。
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